「今日は何の日」というのが流行っていますね。
車に乗れば電源をONしただけで、車のナビが最初に喋るのが今日は何の日です。
思わず笑ってしまうような記念日もあって、楽しみと云えば楽しみで、ほぼ毎回突っ込みを入れておりますが・・・・。(確か6月9日はロックの日でした。・・吹き出しました)
さて、今日はここ熊本地方は6.26水害と云って60年前に死者500名以上を出した大水害のあった日です。
熊本市の中心部を流れる白川が氾濫し、町の中心部は水没、多くの犠牲者がでました。
河川改修が進み橋梁が工夫され、いろいろ手は尽くされてはいるものの、そのスピード感のなさと対処療法に終止する日本の災害復旧の現状をあざ笑うかのように、昨年は北部九州豪雨でおなじ白川が氾濫し多くの家屋が流失しました。(ただし、場所は中心部ではなく少し上流部でしたが・・・)
「今日も垂れ込めた梅雨の雲に霞む里山」
60年前の災害については、忘れないようにと新聞も毎年特集を組んで注意を喚起し続けていました。
それでも、忘れるのですね。
今回の住宅地の家屋流失の事故は、河川の近傍でしかも急に蛇行を繰り返す地域で、通常なら宅地開発には不向きな場所でした。
水流がカーブの部分を蛇行しきれない分がショートカットしてしまったのです。
つまり、災害の注意喚起は「今日は何の日?」レベルの意味しか無い記念日だったと云って過言ではないということです。
東日本大震災で、津波に打ち上げられた船の保存とかが一時検討されましたが、悲惨な事故を思い出させるという人々の意見から立ち消えになってしまいました。
代わりにクローズアップされたのは頑張った一本の松の木で、しかも生きていない状態での保存です。悲惨な記憶より立ち上がる希望が求められたということでしょう。
せめてこの地域はこの位置まで津波が来たという表示を点ではなく、面的に表現して欲しいと思います。
多分もう考えられているとは思うのですが・・・・。
熊本も注意喚起はいいのですが、それに止まらずこの位置まで水が来たと市内の彼方此方に標識を建てておくくらいのことは、後世の人達の目に直接訴える手段として取られるべきではないかと思うのです。特に開発にゴーサインのハンコを押す県や市や国の機関の玄関には・・。
神社の式年遷宮という行事がありますが、25年に一回とかいう頻度で神様が移動するお祭りですね。伊勢神宮では建物そのものまで建て替えますが、普通の神社では一度神殿を出て休憩を地点で休んだ後、また神殿に戻ってくるという行事をしています。
手順が複雑で、神事ですから疎かにはできません。やり方は代々と次世代に受け継がれていくのです。その行事の周期が20年とか25年とかいうわけで、一世代の人間の記憶の限度が考慮されているわけです。
50年や60年に一度では、細部が伝わらない恐れもあるということでしょう。
文書や絵として残しても実際を体験した記憶は重要だということです。
この鬱陶しい梅雨空を眺めながら、60年前の水害の記憶、それより少し前の敗戦の記憶と云うように考えを巡らせていくと、日本人の災害や厄災が頭の上を通り過ぎて行くまで首を竦めてやり過ごし、10年もすれば最早戦後ではないと忘れる方に努めてしまうのですね。
今でも日本を恨んで60数年という何処かと何処かの国では、世代を超えて恨みが継承されていくシステムが機能しているのでしょう。
災害も戦争も、加害も被害も、決して忘れません。でも恨みはしません。未来志向で対策に重点を指向します。日本人的にはこれが理想でしょう。
それにしても、久々にぐっと前向きに盛り上がってみて、このやたら漂う虚しさ感はいったい・・・・。