カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

災害を宿命と諦めるのか?

2014-03-14 10:53:17 | 人声人語

 枕元に置いている時計代わりの携帯から突然「緊急地震速報」の警報音が鳴り響き、目が覚めた。

 午前2時7分頃のことで、何事かと思いつつ携帯をみると緊急地震速報と文字が見えてやっと起こっている事態を把握した。

 震源地は比較的近かったので警報と揺れは殆ど時間差がなかったようで、警報の最中に揺れは収まったらしい。

 何の実害もなく、ただ眠りを妨げられた程度だったが、この午前2時という時間帯にはそれなりの意味はありそうだ。

 炊事などの火を使う時間帯ではないが眠りのピークでもあり、もし大地震なら一瞬の判断や待避行動などに影響を与えそうだ。

 阿蘇に近いので火山性の揺れについては子供の頃から経験している。

 Dscn1190

 かなり昔の事だが、一ヶ月以上も降灰が続いたこともあったし、子供の頃は阿蘇山がゴホンと咳をすると、地震は収まるなどと聞かされた。

 マグマから供給されたエネルギーが放出されて平常に戻っていくということだったのだろう。

 プレートの移動と、潜り込みなど新たな地震発生のメカニズムがとなえられ始め、小松左京の「日本沈没」でいちやく脚光を浴びた現在の定説は当分揺るぎそうにはないが、地道な観測データの分析や、新たな地球内部の探査技術の発達などによって新たな学説が生まれたり、もっときめ細かい地震予測が出来る日がそう遠くない将来に訪れることだろう。

 Cimg4760

 もっとも、それらから導かれた危険予測などが現実の生活の中でどう生かされるかは、また別の問題であって、危険がこれ程叫ばれてもなお続けられる東京一極集中やビルの高層化、現在も続いている原発事故などへの対応など、とにかく目の前に経済原理をチラつかせる手法に滅法弱いのが私達日本人なのだろうと思う。

 最終的には宿命という、天然災害大国に生きるものに引き継がれた最終的諦めの境地こそが「日本教」の神髄などと言われるとちと寂しい気もするが。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする