4月14日午後九時過ぎに一人で食事をしたあと、居間のソファーで酒を一口ほど飲んだところでドーンという音と共に家がユッサユッサと揺れはじめ家具などの倒れる音が次々と響き渡った。
夜が明けても何度か余震は有ったが、ある程度落ち着いたのでガラスの破片などを拾って足下を確保した。
電気も来ていたし、テレビも写っていたので情報は直ぐさま知ることが出来た。
地方キー局のニュース生番組の電話インタビューにも結構気丈に受け答えが出来た。
余震を考慮して残った家具や電化製品・食器などは全て床の上に水平状態に展開して飛散を防止する処置をして寝た。
ところがその晩の夜も更けた丑三つ時の少し前、強烈に突き上げるような連続振動に布団の中で起き上がる事も出来ず、しばし上下動の収まるまで布団にくるまったまま横になっていた。
最初の震度7より遙かに強烈な揺れだった。
停電・断水・そして玄関には赤い紙が貼られることとなった。
(応急的な建物の危険度判定)
(敷石ごと盛り上がって開かずの門に・・・)
(我が家の方向に倒れかかって来ている隣家)
我が家は瓦も落ちてこず、家も目だった損傷は無かったが隣家の倒壊の有無が我が家の運命を左右することとなった。
車中泊5日、エコノミークラス症候群を考慮してテントで5日暮らしたが騒音と振動と余震で慢性的な睡眠不足で正常な判断に支障をきたしそうになった。
動作が極めて緩慢になりいつも地面が揺れているような船酔いの状態が続いた。
危険性は払拭できないが、隣家の影響を受けにくい2階の東北端の部屋でとにかく眠ることにした。
今日でかれこれ地震から20日が経過している。・・・らしい。
パンと水だけで2日間を過ごしたり、半月振りに風呂に入ったり、毎日給水所への水汲みが日課になった生活など、あんまりありがたくも無にい貴重な経験をさせて貰っている。
久し振りに庭を見ると瓦礫の散乱した庭にもちゃんと季節の花は咲いていた。
じっと花を見詰めていると、家屋の基礎部分の外側(いぬばしり)部分はかつては、庭の土より5~10Cmは高かった筈なのに同じか場所によっては庭土の方が高くなっているのに気がついた。
家が沈下したか、地面が盛り上がったかは定かではないが、元栓までは復旧している水道も我が家の敷地内で複数箇所が損傷しているところをみると、家の基礎ごと動いたことは間違いない。
水道を修理すべき工事屋さんが出払ったり、工事屋さんが被害を受けたりで手配がままならない。
罹災証明の発行もとんと進捗せず、手詰まり感のようなものが漂っている。
「がんばろう!熊本」の励ましの声や、全国から駆けつけてくれているボランティアさんには申し訳ないが、私は「ぼちぼちやらして貰います」の旗を掲げることにした。
「ありがとうでも携帯の電源が」
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夜が明けても何度か余震は有ったが、ある程度落ち着いたのでガラスの破片などを拾って足下を確保した。
電気も来ていたし、テレビも写っていたので情報は直ぐさま知ることが出来た。
地方キー局のニュース生番組の電話インタビューにも結構気丈に受け答えが出来た。
余震を考慮して残った家具や電化製品・食器などは全て床の上に水平状態に展開して飛散を防止する処置をして寝た。
ところがその晩の夜も更けた丑三つ時の少し前、強烈に突き上げるような連続振動に布団の中で起き上がる事も出来ず、しばし上下動の収まるまで布団にくるまったまま横になっていた。
最初の震度7より遙かに強烈な揺れだった。
停電・断水・そして玄関には赤い紙が貼られることとなった。
(応急的な建物の危険度判定)
(敷石ごと盛り上がって開かずの門に・・・)
(我が家の方向に倒れかかって来ている隣家)
我が家は瓦も落ちてこず、家も目だった損傷は無かったが隣家の倒壊の有無が我が家の運命を左右することとなった。
車中泊5日、エコノミークラス症候群を考慮してテントで5日暮らしたが騒音と振動と余震で慢性的な睡眠不足で正常な判断に支障をきたしそうになった。
動作が極めて緩慢になりいつも地面が揺れているような船酔いの状態が続いた。
危険性は払拭できないが、隣家の影響を受けにくい2階の東北端の部屋でとにかく眠ることにした。
今日でかれこれ地震から20日が経過している。・・・らしい。
パンと水だけで2日間を過ごしたり、半月振りに風呂に入ったり、毎日給水所への水汲みが日課になった生活など、あんまりありがたくも無にい貴重な経験をさせて貰っている。
久し振りに庭を見ると瓦礫の散乱した庭にもちゃんと季節の花は咲いていた。
じっと花を見詰めていると、家屋の基礎部分の外側(いぬばしり)部分はかつては、庭の土より5~10Cmは高かった筈なのに同じか場所によっては庭土の方が高くなっているのに気がついた。
家が沈下したか、地面が盛り上がったかは定かではないが、元栓までは復旧している水道も我が家の敷地内で複数箇所が損傷しているところをみると、家の基礎ごと動いたことは間違いない。
水道を修理すべき工事屋さんが出払ったり、工事屋さんが被害を受けたりで手配がままならない。
罹災証明の発行もとんと進捗せず、手詰まり感のようなものが漂っている。
「がんばろう!熊本」の励ましの声や、全国から駆けつけてくれているボランティアさんには申し訳ないが、私は「ぼちぼちやらして貰います」の旗を掲げることにした。
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