カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

日常を生きるということ

2016-05-28 09:53:04 | 日常あれこれ
  大きな災害が起きた現場で、何ヶ月か時には何年もたった後の取材などで「あの時から時間が止まっている」と答える場面を度々見聞してきた。

 一つには遅遅として思うように進まない復旧や復興に対しての思いと、大事な人や財産を失った喪失感などとともにその日を境に人生観さえも急激に変化してしまった自身の心の内を覗きながらの言葉なのだろうと思う。

 我が家の水道から水が出るようになって10日が過ぎ、風呂や洗濯が自宅で可能になってくると自力で室内外の補修などをしてみようという気になってくる。

 久し振りに菜園に行ってみると、キュウリがぶら下がっていたし、時期遅れに種芋を植えたジャガイモも芽を出しそれなりに成長をしていた。

 
 (キュウリ)
 
 (ジャガイモ)

 植物にとって大地の揺れは何であったのだろう。

 大地と共に生きるものの強さを今更ながらに感じてしまう。

 日常を取り戻すという言葉もよく耳にするが、震災後の今の生活も日常に変わりはない。

 地震の後水が出なくなった井戸は復旧したが、井戸の水位は毎日測り続けている。

 
 (井戸)
 
 中央部分の穴から重りを付けたヒモを垂らす単純な方法だが、それが今の日常になっている。

 内装も外装も自分で補修を続け、それを当面の日常としている。

 来るかもしれないと注意を呼びかけられている震度6弱程度の余震への怯えと、まだ立っている家への特別の思いが交差する。

 怯えと強がり・・・そしてやがてもう来ないだろうという油断も含めて日常はつづく。

 「銘水が玄関先で揺れている」

 
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コメント
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