ちょっと変わった表紙の本に出会った。
グレーがかった青色の表紙であるが、題名が殆ど見えない。
作者や出版社名などはなっから表記されていない。
表紙から3枚目ではじめてこの本がどういう題で誰が作者か初めてわかるというあんばい。
「ある小さな雀の記録」クレア・キップス(米)梨木香歩(訳)文藝春秋社2010.11刊
キップス夫人に拾われた目も見えない小雀が成長し死ぬまでの記録である。
努めて淡々と表現された文体から伝わってくる内容は凄い。
12年も雀が生きることすら知らなかったので・・・・・。
私も猫との19年近くの生活を通じて小さな生き物の習性や人との関わり方などを多少は記録してきたし、この本に手が伸びた理由もそこにあった。
読み進むうちに、鳥と猫という天敵とも思えるその関係ではあるものの、習性というか行動というものの共通性に驚かされた。
そして最後近くは便秘対策に悩まされるところや、死に方まで同じなのである。
生き物の本質というのは、人間を含めてそう違わないのだなと感じた次第だ。
あと一つ記録として表現する人間の側の接し方も共通するものがあって、結果的に同じ事に感心し同じ事に悩むという事なのかもしれないと気づかされる。
さて、もう一冊は「創世の島」バーナード・ベケット(ニュージーランド)小野田和子(訳)早川書房2010.6刊
21世紀末を想定した、近未来小説。
未来を描きながら、内容的には痛烈な現代批判になるのがこの手の小説のスタンス。
未来に場所を借りた小説をSFというのは如何なものかとも思うのは、サイエンスというよりは古代からある哲学が未来の社会にも連綿と引き継がれるということだ。
そして人間は同じ過ちを何度でも繰り返す、場が代わり物が代わり環境が変わって歴史が古代から何千年も流れているのに・・・・・、本質的に変われない人間とはなんぞや。
単なるSF小説ではない一冊。