北の街ではもう 悲しみを暖炉で
燃やしはじめてるらしい
理由(わけ)のわからないことで 悩んでいるうち
老いぼれてしまうから
黙りとおしたとしつきを
拾い集めて 温めあおう
襟裳の春は何もない春です
日々の暮らしは嫌でも やってくるけど
静かに笑ってしまおう
いじけることだけが 生きることだと
飼い慣らし過ぎたので
身構えながら話すなんて
ああ 臆病なんだよね
襟裳の春は何もない春です
寒い友だちが訪ねてきたよ
遠慮はいらないから 暖まってゆきなよ
作詞・岡本おさみ、作曲・吉田拓郎。1974年1月発売。
名曲中の名曲だと思います。フォークのカリスマである吉田拓郎の曲を、演歌の象徴的存在の森進一が歌ったことで、大きな化学反応が起きたとも言えるでしょう。
そして忘れてならないのは岡本おさみの歌詞です。こんな素晴らしい歌詞に出会うことはめったにありません。時代を超越した普遍的な言葉が並んでいるので、古くなることがありません。
「わけのわからないことで悩んでいるうち、老いぼれてしまうから」
この言葉が今書かれていても何ら違和感がありません。
「黙りとおしたとしつきを拾い集めて温めあおう」
無口な北国の人々の生活が浮かび上がります。
そして「襟裳の春は何もない春です」
この言葉で締めくくっています。地元の人々の反感を買ったのは有名な話ですが、それを恐れて説明のような言葉を並べてしまったら、歌詞が台無しになります。歌詞や詩もそうですけど、引き算でやっていかないとなりません。無駄を省けば誤解が生まれる。それを百も承知で岡本さんは書いています。
僕は「何もない春」を昔から変わらない春とか、この上ない春と解釈しています。街や人々の優しさすら、この一文から伝わってきます。
2番も3番もいいですね。ここに掲載しているのは3番の歌詞ですけど
「日々の暮らしは嫌でもやってくるけど、静かに笑ってしまおう」
静かにを入れることで哀愁が深まり、より格調が高くなりますね。
そして「襟裳の春は何もない春です」で締められています。
最後の「寒い友だちが訪ねてきたよ。遠慮はいらないから、暖まってゆきなよ」
寒い友だちも言葉を削っています。寒い道のりをはるばる歩いてきた友だちというイメージですか。それを「寒い友だち」の短い言葉で表現する岡本さんの高い技術が光ります。
襟裳岬は是非、後世に残ってもらいたい曲のひとつです。