蝉の声を聞く度に 目に浮かぶ九十九里浜
皺々の祖母の手を離れ 独りで訪れた歓楽街
ママは此処の女王様 生き写しの様なあたし
誰しもが手を伸べて 子供ながらに魅せられた歓楽街
十五に成ったあたしを 置いて女王は消えた
毎週金曜日に来てた男と暮らすのだろう
「一度栄えし者でも必ずや衰えゆく」
その時を迎え足を踏み入れた歓楽街
消えて行った女を憎めど夏は今
女王と云う肩書きを誇らしげに掲げる
女に成ったあたしが売るのは自分だけで
同情を欲した時に全てを失うだろう
JR新宿駅の東口を出たら
此処はあたしの庭 大遊戯場歌舞伎町
今夜からは此の町で娘のあたしが女王
作詞・作曲は椎名林檎。1998年9月発売。
もう四半世紀前になるんですね。宇多田ヒカルと同時期に出現した椎名林檎。宇多田が正統派なら椎名は異端。宇多田が天才なら椎名は鬼才。そんな印象があります。
「蝉の声を聞く度に、目に浮かぶ九十九里浜。皺々の祖母の手を離れ、独りで訪れた歓楽街」
主人公は九十九里浜の方で祖母に育てられたのでしょう。思春期の入り口で母親に引き取られたようですが、母はこの歓楽街では女王であり、生き写しの様な娘に男たちが感嘆し、娘は恍惚を知る。結局、女王である母は娘が15才の時に男と出ていった。
「一度栄えし者でも、必ずや衰えゆく。その意味を知る時を迎え足を踏み入れた歓楽街」
主人公の娘は15才から少し時を経たようにもとれます。その間に母の美貌が衰えていく様を観察していたのでしょう。
「女に成ったあたしが売るのは自分だけで、同情を欲した時に全てを失うだろう」
同情を求めてしまえば並の女で、女王に必要な威厳やカリスマ性は消えてしまうことを娘は悟ったようです。
「JR新宿駅の東口を出たら、其処はあたしの庭、大遊戯場歌舞伎町」
ここは思い切り吹っ切れてていいですね。「大遊戯場歌舞伎町」。吹っ切れてます。
そして、「今夜からは此の町で、娘のあたしが女王」
すぐに女王になったのか、これから女王になるのかは分かりませんが、どちらにしても母が娘に女王の地位を奪われるのは間違いありません。
「猛き者もついには滅び、ひとえに風の前の塵に同じ」
普遍的な新旧交代を描いているのです。
椎名さんは相当な文学少女だったと想像します。しかし、それでは説明がつかない。この歌詞は文学としても成立しています。椎名林檎は才能の吹き溜まりです。神懸かっていました。