十一月四日(水)晴れ。
寒い朝だった。下の子供は、また学級閉鎖で休み。皆でのんびり寝ていた。遅い朝食の後は、机に向かい仕事。午後から事務所へ。
夕方から子供を連れて歯医者。歯医者の近くのスーパーで夕食の買い物をしてから帰宅。夕食後は、パソコンで雑用をこなした。時計を見れば、日付が変わって、深夜の二時。そろそろ寝ようかな。
そういえば、読了した女優の加賀まりこさんの「純情ババアになりました」の中に、中々薀蓄のあることが書いてあった。それは祇園の花街の事。お客さんのことを祇園の舞妓や芸妓が陰で何と呼んでいるか、というものだった。もちろん私は祇園などと言う所に足を踏み入れたことはないが、さすが祇園と感心してしまった。
例えば、頭髪がバーコードのようになった人は、「十六夜の君」と呼ぶそうだ。「十六夜(いざよい)の月」をもじったものだが、「十六夜の月・陰暦十六日の月は満月より遅く、ためらうようにして出てくるので、言う」。更にさすがと思ったのが、一人の舞妓や芸妓さんにご執心して通ってくる客は、「深草の少将」。平安朝の歌人で、絶世の美女と言われた「小野小町」のもとに九十九夜通ったという悲恋の公達になぞらえている。優雅ですねぇー。
良く、女優には、「恋多き女」とか「奔放」とか言う言葉で語られる人がいるが、それはその人のキャラで、普通は「尻軽」とか「ヤリマン」とか呼ばれて軽蔑されるのがオチだ。若い頃にちやほやされて散々浮名を流し、楽しかったことも、過ぎてしまえば、何の価値もない、薄っぺらな思い出が残るだけだ。
人のダンナを寝取ったり、親子ほど違う年の男との交際を、嬉々として、かつ赤裸々に書けるのも「女優」という人達の特権なのかもしれない。しかし年をとって、気がつけば一人・・・。
疲れて自宅に戻る。誰もいない真っ暗な部屋。電気をつけても、そこに人のぬくもりもない。「寒い」と思うのは、そんな時だ。その現実から逃れようとして、遊びまわる。読んでいて楽しいが、しかし、そこには「女優」という無機質な日常の存在を知って、「寒い」と感じてしまったのは、失礼なことだろうか。