白雲去来

蜷川正大の日々是口実

三浦和義さんの納骨。

2009-11-12 15:13:10 | インポート

十一月十一日(水)雨。

 朝食の後に外を見れば篠つくような雨が降っている。朝食を済ませてから、身支度を整えて、家人に保土ヶ谷まで送ってもらう。今日は、ロスで非業の死を遂げた三浦和義さんの一周忌の法要と納骨が、平塚の某霊園にて行なわれる。本当に早いものだ。

 平塚駅に十一時に待ち合わせ。三浦さんを支援し続けてきた方々が集合。合流して霊園に向かう。霊園では三浦良枝さんやご身内の方々が、我々の到着を待っていた。正午に法要開始。祭壇には三浦さんの写真と一緒に良枝さんのご尊父の写真も飾られていた。三浦さんが一人では寂しいだろうと、良枝さんが七年前に亡くなったご尊父と一緒にお墓に眠ることにしたそうだ。その後、お墓に行き、納骨。ロスからお骨で帰国したままの状態で、簡単な包装のままの三浦さんのご遺骨を、忘れな草の絵の書かれた骨壷に移して納骨を済ませた。あれほど激しく降っていた雨が、このときばかりは止んでくれたのが有り難かった。

 

 戒名は、義岳和道居士。平成二十年十月十一日没、享年六十二歳。

 お斎を済ませた後に、平塚駅から電車で帰宅。夕方から、少々のんびりした。下の子供と一緒に夕食の買い物をしに行き、七時過ぎから夕食。今日は、亡き三浦和義氏を偲んでの酒。中々眠れずに、三時過ぎまで起きていた。


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蜷川政経懇と名前だけはりっぱな飲み会。

2009-11-12 14:53:37 | インポート

十一月十日(火)曇り。

 週刊ポストに、三島先生が自決なされる三ヶ月前に、下田のプリンスホテルのプールにて、家族で過ごしている写真が掲載されていた。その解説文の中に、元楯の会の本多清氏が、三島先生に関する本を出版すると書いてあったのに、うっかり週刊ポストを、タクシーの中に忘れてきてしまった。年のせいで記憶力が悪くなってきているので、本多さんの本の題名が思い出せない。本多さんと言えば、確か昭和五十八年に、犬塚哲爾さんや笠原正敏、大野康孝さんたちが中心となって行なった、「民族派青年有志沖縄戦跡慰霊巡拝団」でご一緒させて頂いた。経団連事件で森田忠明さんが戦線復帰なされた年だった。亡くなられた北上清五郎先生や、板垣哲雄君や駒場君たちも一緒だった。以来、沖縄には数え切れないほど行ったが、その「戦跡慰霊」の時が一番印象に残っている。

 

 今日は、七時から、自宅の近くの「清水苑」にて、恒例の「蜷川政経懇話会」という名前だけは立派な、飲み会を開催した。先日、蔵元から取り寄せた「王道楽土」という焼酎を飲みつつ、気の合う人達と集り。終了後に、清水常二氏と我が家に転戦。十時過ぎに解散。


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