白雲去来

蜷川正大の日々是口実

尊敬する台湾の同志から、メールを頂いた。

2009-11-20 17:35:54 | インポート

十一月十八日(水)晴れ

 午前中は、自宅で仕事。今日は、午後一時半より、大行社の幹部会議があるので東京行き。会場に着いたのは一時。親しい人達に挨拶しても一時半より幹部会が始まった。相談役としてご挨拶を述べる。四時前に終了。そのまま横浜に戻った。夜は、珍しくのんびりした。

 食後にパソコンを開いたところ、台湾在住の安部英樹さんから、とても嬉しいメールが入っていた。読んでいて面映い気持ちになる。本人の承諾を得ずに誠に申し訳ないが、大切な文章なので掲載してみたい。

 

 「網走の氷雨に叩かれながら、「切通し」の泊り場でオンコの木の伐採したときのお話、網走の独房でなにくそっと読んだ1000冊もの本のお話などなど、それはじつに胸を打つものでした。

 そして、「知識はがガソリンと同じで吐き出すだけでは、やがてゼロになってしまう」というお言葉、これも胸につまされるお言葉ですが、しかし、それでいいのだと思います。それが宇宙自然の法則にかなっているとのだと思います。

 禅の高僧の言葉に「若い頃は一所懸命に勉強をして世の中に役に立とうと思ったが、歳をとったら≪やくだたづ≫になってしまった」という名言がありますが、この≪やくだたづ≫、つまり「無用」となることが、徹底大悟への道なのです。しかし、世間はこれを勘違いして、「役にたつ」ことが良いこと、「有用」が良いことだと信じて疑いません。それは、やはり、己に頼る心が強すぎて、天地自然へ頼る心が薄い表れでしょう。

 

 『ヒトは、いかに努力しょうとも、天地自然の理には勝てない。一時的に勝ったように思えるのは、それは、単に、一時的に、運がいいだけだ』ということを謙虚に再認識する必要があると思います。

 

 また僭越ではありますが、ヒトが老いること、また無用になっていくこと、この大自然の理に敢然と立ち向かったのが野村先生だったのではないかと思います、大自然の理に抗い、真っ向からその法則に立ち向かうことは間違いなく「滅びの美」があります。そしてそれは限りなく美しいのです。

 ブログを読んで感動のあまりに本メールを書いてしまいました。」

 

 というものである。赤面、汗顔の至りだが、こうして応援したくれる人がいることは、とても励みとなる。

 安部さんは老壮の思想の知識が深い。過日、上梓された「不良のタオ・無極山荘の仙人が教えた老子」(講談社)を是非ご一読頂きたい。また近著の「ケンカ番長放浪記」(講談社α文庫)を読むと、安部さんの壮絶な青春期が分かる。現代の大陸浪人、安部さんの連載が「大吼」の新年号から始まります。


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