白雲去来

蜷川正大の日々是口実

マグロの刺身が、八千円もする店が満席だった。

2010-07-04 08:45:55 | インポート

七月一日(木)曇り。上海滞在三日目。

 昨日と一緒に九時に朝食。メニューも変らず。部屋の窓から外を見ると、靄がかかっていて、すっきりしない。そういえば上海に来てから一度も青空と言うものを見ていない。昨日のガイド氏も、「日本から上海に戻る時は、青空にサヨナラした気分です」と話していた。

Dsc_0046 ※連日、こんな感じの空でした。

 

 今日は、一日、上海観光である。十一時に、お願いしたガイドさんがマイカーを運転してホテルに来るが、少々高ビーな感じのネェちゃんだった。先ずは、上海の観光名所である「豫園」へ向った。良く、浅草の仲見世や浅草寺周辺の雰囲気に似ているといわれるが、ナルホド・・・。しかし、今日も暑い。正午なのに三十七度にもなっている。

 

 「豫」は愉を示し、すなわち「楽しい園」という意。面積は約2万m?。もとは四川の役人であった潘允端が、刑部尚書だった父の潘恩のために贈った庭園で、1559年から18年の歳月を費やし造営された。完成した時には父は没していたといわれる。装飾や様式は伝統的(中華-上海的)でありつつ、周辺は中華的な高層な建築物が並んでおり、観光地として豫園商城と呼ばれている。お土産物店や飲食店が軒を連ね、小籠包の本家を名乗る南翔饅頭店などがある

 

 周りの土産物屋なども冷やかしながら、ゆっくりと回りたいのだが、何せ暑くて、我慢できない。それと万博のためなのか、ここも凄い人出で、歩くのも、写真を撮るのもままならない。有名な、南翔饅頭店で昼食とも思ったが、これ以上無理と判断して、浦東地区にある台湾の小龍包の名店の鼎泰豊へ向った。

Dsc_0015※豫園にて。

 鼎泰豊も上海の物価から見れば、とても昼間の手ごろなランチの値段にはほど遠いが、リッチ?なファミリーで満席である。

 昼食後は、ガイドさんの友人という人が経営している靴の問屋へ案内して貰った。その場所は、戦前に日本人が多く住んでいた虹口(ホンキュ)に近く、戦前の建物と思われる建築物が随分と残っていた。

Dsc_0051 ※茶色の建物は戦前の物と言うことでした。

 

 ナイキの靴などもいくつかあったが、まあ日本より二割程度安いかな、という感じだった。それでも、お付き合いで子供達の靴を買った。その後は、ガイドさんにお願いして、土産物屋に案内して貰ったが、ソウルの李泰院や、東大門にある「ニセモノ・ハウス」と同じで、あまり食指が動かない。USBコードで動く、マッサージ器の解説が面白く、(その内、紹介します)お土産に三つ買った。値段は、一つ三百円程度。暑さでヘロヘロになったので、四時過ぎにホテルに戻って休憩した。

 

 六時に、再び、ガイドさんに迎えに来てもらい、紹介された日本料理屋に送ってもらった。台湾人が経営する店で、何でも連日満席だそうだ。入り口は、日本の小料理屋みたいな感じで、女の子は、皆、なぜか剣道着のような紺の袴に白い稽古着といういでたち。

Dscf2438 ※「酒呑」と書いて「SASANO」と言うそうだ。後姿は隠岐さんです。

 

 メニューを見て、ぶっ飛んだ。何と、本マグロの刺身が五千五百元、八千円近い。その他、ウニやアワビなどもあるが、何でこんなに高いの、という値段設定。掘りごたつになっているカウンターに座って、周りを見れば、「シラスおろし」「イカ焼き」「冷奴」「サバの干物」なんていう安いものを食べているのは、私達だけである。私の隣の家族連れは、マグロにうに、アワビステーキに特大のボタン海老・・・。小学生ぐらいの兄妹が、普通に食べている。

 

 隠岐さんの隣の二人連れは、ジョニーウォーカーのブルーラベルをキープしており、テンコ盛りのマグロの刺身をツマミにして、飲んでいた。店は、満席である。刺身の平均の値段が日本円で五千円もする店が平日にも関わらず満席。たいしたもんだ。「白波」の四合瓶を一本空けて、ホテルに戻った。日本人が、まともな居酒屋を経営したら、流行るのかもしれないと隠岐さんと話した。いやはやマイッタ。 


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