白雲去来

蜷川正大の日々是口実

蛙、蛇。「普通ですよ」と言われた。

2010-07-03 23:10:12 | インポート

六月三十日(水)曇りのち晴れ。上海滞在二日目。

 日本からパソコンを持って行き、毎日ブログを更新するつもりだったのだが、何と、ブログが、開かないのだ。ヤフーは開くのだが・・・。そうかグーグルが撤退した影響かもしれない。仕方がないので、ワードでメモ的にその日の出来事を書き込むだけにして、帰国してからアップしようと思った次第。

 

 九時に朝食。ホテルのレストランで、お粥、目玉焼き、うどん。日本人が殆どいない。外国人と中国人が圧倒的に多い。マンダリンは静かでいいホテルである。

 

 十一時から、今日も、万博の会場へ行った。やはり凄い人である。どのパピリオンも二、三時間待ちで、とても並んで入ろうと言う気力も体力もない。昼過ぎには、何と三十七度まで気温が上がった。人が並んでいるところにはミストシャワーがでているが、正に焼け石に水。一番空いているパピリオンを探して入ったのが「アフリカ連合館」と「北朝鮮館」。二日通って、この二館のみである。しかし、この時期の上海の暑さを少々ナメテいた。

 

 やはり人気のないパピリオンだけあって、見るものなど何もなく、ただ土産物屋がならんでいるという感じ。北朝鮮館にいたっては、テレビでプロパガンダを放映しているだけで、見るものと言えば、小さな噴水だけ。売っているものも、北朝鮮の切手と「金正日全集」ぐらいで、興味も湧かない。その周りのテレビが、いかに北朝鮮が豊かか、という映像を流しているのだから、そのギャップのみが楽しめる。

Dscf2374 ※唯一の見世物の噴水。

Dscf2375 ※北朝鮮館の前で、隠岐康氏何を思うや今週の「文春」にも出ていたが、後ろのベンチで寝ているような人が大勢いた。

 

 余りの暑さに耐え切れずに、一度ホテルに戻ってシャワーを浴びてから、ガイドブックで見た「上海電子城」という電気の専門店を冷やかしに行った。秋葉原の電気街のようなところで、アイパッドやアイポッドのコピーを売っていたが、専門知識もないので、そういったものは買わずに、おもちゃのようなものを買って退散。まだ、陽が高いので、上海一の繁華街と言われている、バンドの近くの南京東路に行ってみた。万博の中では百元(約千七百円)もする万博のキャラクターをオバハンが十元で売っていたのには大笑い。それでも、本物とニセモノの区別がつかないので、隠岐さんと一緒に二つずつ買った。通りにある有名な和平飯店でお茶でもと思ったら、改装中で残念。

 

 建物の中にいる時は、いくらか暑さもしのげるが、外に出ると、歩いているのが辛くなるほどの暑さである。耐え切れずに、ビールを飲みに横道にある料理屋に入ったのは良いが、つい調子に乗って紹興酒を二本も空けてしまった。四時にホテルに戻り、シャワーを浴びてから少し休んだ。

 

 六時に、昨日もお世話になった、通訳の青年が迎えに来て、夕食をとりに出たが、先程の酒が残っていて、頭がハッキリしない。車で三十分ほど走った下町にある海鮮料理屋に入った。観光客などほとんど来るところではなく、地元の人たちの御用達の店だそうだ。店先に、蟹や海老、貝、シャコ、イカなどに混じって蛙や蛇なども置いてある。ガイドの青年に聞けば、上海では、「普通」とのこと。ここで食材を選んでテーブルに着く。料理の仕方など良く分からないので、ほとんどお任せ状態。

Dscf2430 ※「老四」という店の前で。

Dscf2410 ※これがメニューです。

Dscf2419 ※蟹の名前は分からないが、メチャクチャ安かった。

Dscf2424 ※流しの兄ちゃん。

 

 隣は、上半身裸のオヤジがいたり、その前は、いちゃついた若いカップルがいたり、人間観察も面白い。最初は気を使ってもいたが、酒が入るうちに、めんどくさくなって、いつもの自分のスタイルで酔っ払った。面白いことに、矢沢永吉似のギターを持った流しの兄ちゃんが来たので二三曲やらせてみたが、知らない歌ばかりなので、「日本の曲をやれよ、このタコ」と笑いながら言ってみたら、隣の裸の兄ちゃんが、流しの男に、「○△◇×・・・ムニャ」と命令すると、中国語の「北国の春」を歌いだしたのには大笑い。

 

 これがキッカケで、隣の兄ちゃん達と打ち解けて、ビールの応酬となった。二時間ほど店にいて、もう一軒とも思ったが、昼間に歩き疲れたのと、暑さと、酔いが加わって、結局ホテルに戻って、すぐに爆睡状態となった。


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憧れの上海へ。

2010-07-03 09:05:53 | インポート

六月二十九日(火)曇り。

 六時に、エエッイと気合で起きた。今日は朝が早いと分かっているのに、昨夜もついだらだらと飲んでしまう。悪い癖である。朝食を食べる体力もなく、スープのみの朝食。

 

 今日から三泊四日で上海行きである。日頃からお世話になっている弊社、社友会の代表である隠岐康氏が、上海で行われている万博に行くので、押しかけ参加した次第。私は、世界中で一番行ってみたい都市といえば、イタリアやローマやパリ、あるいはニューヨークでもなく、上海である。

 

 なぜ上海なのか・・・。それは現在の発展した都市としての上海や、万博で賑わう上海などではなく、一九三〇年代の、いわゆる「オールド上海」といわれた時代への思い入れとノスタルジアである。もちろん、そんな時代のことなど、映画や、歌、あるいは小説の中でしか知らないが、以前から「夢の四馬路か虹口の街か」と歌われた「魔都上海」の当時の町並みがかろうじて残っている上海を一度訪れてみたいと思っていたのだ。

 

 便利なことに、羽田から直行便が出ている。八時半に羽田に着いたときは、すでに隠岐氏は到着していた。わずか二時間半のフライトで上海着。天候はあいにくの曇り。そして蒸し暑い。ガイドの方の迎えで、一路ホテルに向かうが、スモッグと曇天で摩天楼の先端が雲に隠れている。宿はマンダリン・ホテル。部屋も広く清潔で一人で泊まるのには、もったいない。

 

 ホテルに着き、すぐに旅装を解き、休む暇もなく万博の会場に向かう。聞いたところでは、上海では各家庭に一枚の無料の招待券を配って、観客動員に励んでいるとのこと。ガイドさんに聞けば、どのパビリオンも、二時間から三時間待ちは常識とのこと。戦々恐々の思いで入場門に着けば、なにやらディズニーランドを思わせる人の列。各パビリオンは、噂の通り長蛇×5ぐらいの人の列で、見ているだけでめまいがする。結局、各パビリオンの周りをウロウロと三時間ほど見て周り、暑さと湿気と人の波とでヘロヘロになってホテルに戻った。

 

 六時に、ガイド兼通訳の青年が来て、街へ出た。上海での最初のディナーは、ホテルの近くの「小南国」という隠岐氏のお薦めの中華料理店。料理は最高だが、残念ながらメニューが読めない。通訳の青年に説明してもらいながら、色々なものを食べたが、とどのつまりは「小龍包」が一番美味かった。

 

 食後は、外灘(ワイタン)と呼ばれているバンド(海岸通り)を散策した。思った通りの景色が眼前に広がっている。ガーデンブリッジ、川島芳子や児玉誉士夫先生などが宿泊した、ブロードウェイマンションが、この街の変遷などなかったかのように存在していている。いや、ブロードウェイマンションやガーデンブリッジだけではない、このバンドには、ユダヤ財閥のサッスーンが建てた「サッスーン商会」のビルや、ノースチャイナ・デイリーニューズ&ヘラルド社のビルなど一九三〇年代の歴史的建築物がライトアップされて、その時代にタイムスリップしたような気持ちになる。

 かつて、ここを訪れた人たちは、その豪華なビルディングの裏にある、当時の上海の貧困とを皮肉って、「偽りのフロント」と表現したそうだ。バンドの反対側、すなわち浦東側には、上海タワーなどの現代の建築物が、まばゆいばかりの光を放ち、見る人を圧倒している。

 

 ついに来たか・・・。年甲斐もなく、感慨と感傷が入り混じって、涙をこらえるのに苦労した。古くは、高杉晋作、戦前は北一輝、清水行之助、万年東一といった斯界の大先輩達が活躍した街。その同じ景色を私が見ている、という感慨。その思いを胸にしっかり刻んでホテルに戻った。

Img313 バンドから浦東地区を背景に隠岐康氏と。

Img312 バンドの遊歩道にて。後方、先端が緑色のビルが、かつてユダヤ財閥のサッスーンが建てたもの。現在もクラッシック・ホテルとして人気が高いそうだ。


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