白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「SPA!黄金伝説」と言う本に、私の事が・・・。

2010-07-10 11:36:57 | インポート

七月九日(金)雨。

 梅雨時の雨は、しとしと降る長雨が相場と決まっていたが、最近は、ゲリラ豪雨とかいって、ドカッと降り、被害が相次いでいる。今日は、さすがに起きられなかった。目が覚めたときは、家にいるのは私だけ。何とか朝食をとってから、再び寝た。起きたのは十一時を過ぎていた。のんびりと風呂に入って酒を抜いた。朝から働いているカタギの衆に申し訳ないと、チョッピリ後ろめたい。

 

 四時前に事務所に行き、郵便物の確認。その後、歯医者へ。終了後は、スーパーで夜食の買い物。何台もの選挙カーとすれ違う。がんばれ日本、いや「たちあがれ日本」か・・・。

 

 外は、凄い雨である。わが陋屋がまた雨漏りしないかと心配である。そういえば、鈴木邦男さんから「SPA!黄金伝説」(ツルシカズヒコ著・朝日新聞出版)という本をご恵送頂いた。著者のツルシ氏は、「週刊SPA!」の第三代の編集長である。なぜ、鈴木さんが、この本を送ってきたかと言えば、野村先生が、自決なされた時に、「SPA」誌上にて、野村先生の自決が、朝日との戦いの末ではなく、「癌による病を気にした結果」というようなことが書かれてあり、野村事務所の代表として私が抗議をしたということが、書いてあったからだ。

 

 その本によれば、当時、私は随分厳しい口調で、編集長だったツルシ氏に抗議し、結果、ツルシ氏と編集者が、赤坂にあった野村事務所に釈明に来たとある。詳しい事は、本を読んで欲しいが、応対したのは、私他三名で、私が進行役で、「主に発言していたのは理論派と目される年配の男だった。体格が良く強面、いかにも武闘派らしき男も同席していた」とあるが、申し訳ないことに、私は、このことが全く記憶に無いのだ。

 

 また、当時、野村事務所にいた男性は、私とT編集長、先生の秘書の古澤の三人で、あとは女性の事務員が三人。「理論派と目される年配の男」とは誰だろうか。私は、野村先生の事に関しては、他人任せにするようなことはなく、「進行役」などに徹せず、私が、ツルシ氏と直接話すはずだ。恐らく、私、T編集長、古澤、あるいは、私の友人の柳田氏だったかも知れない。こちらも野村先生の自決の直後であったため、多少気が立っていたこともあり、不快な思いをさせてしまったのなら、私の不徳の致すところである。

 

 しかし、ツルシ氏は違うだろうが、マスコミ人の中には、「右翼がまともなことをやるわけがない」というような偏見を持っている者が多く、従って、野村先生の自決も、故意に「病気で世をはかなんで」という図式にして、思想的な行為から遠ざけようとするような論調も、事件当時のマスコミにあったことは事実だ。何も美化せよと言っているのではない。事実を書いて欲しいだけだ。先生の病気説などは、当時、野村事務所に取材をしていれば、そんなことは事実無根であることを証明したし、大体、ご家族と私達以外に、野村先生と、連日接しているような、身近な人がいたらこちらが教えて欲しいくらいだ。

 

 先ごろの「週刊新潮」の「赤報隊」のインチキ報道の時もそうだったが、なぜ、我々関係者に全く取材もせずに、あんな記事を書いたのか・・・。結局、恥をかくのは自分達ではないのか。

 

 ツルシ氏は、「恐怖感はあったが、後味の悪さは残らなかった」と書いている。また、この事がキッカケで、鈴木さんの「憂国のコペルニクス」の連載が始まった、とも。ご興味のある方は、是非、ご一読下さい。

Img330 ※帯がゴールドなのでスキャンできませんでした。1200+税です。

 

 夜は、さすがに酒を控えて、佐野眞一氏の「阿片王・満州の夜と霧」を再読。興味ある本に書かれている、「場所」を歩いてみたいと思っている。梅雨が明けたら、里見甫の秘書的役をしていた男装の麗人、梅村淳が住んでいた、鎌倉市大町あたりを散策してみるつもり。

 


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朋、遠方より来たり。復楽しからずや。

2010-07-10 08:16:34 | インポート

七月八日(木)曇り。

 この時期だから仕方ないが、毎日、ハッキリしない天気が続いている。午前中は、事務所で仕事。お中元のお礼状を書いたり、展転社からの原稿に向ったりしたが、お客が相次いで、殆ど仕事にならなかった。

 

 三時半に帰宅。今日は、先日、戦線復帰した沖縄の新垣和彦氏と彼の門下生、淳也君、さらに彼の友人がが横浜を訪れる。五時半に中華街の交番前で待ち合わせた。新垣氏一行は五名。私は、松本佳展君と一緒。まず久闊を叙してから、「菜香」へ。

 

 この店に来るのも、最近は懐不如意なので久し振りである。初対面の人たちを紹介して頂き、美味い料理を肴に、甕出しの十年紹興酒をしこたま飲んだ。もちろん談論風発、喧々囂々、男の酒の嬉しさは、たちまち通う意気と熱。の酒席となった。

 

 二次会は、もちろんサリーの店へ。時間が早く、お客が少ないのを幸いに、大いに歌い、かつ飲んだ。新垣氏いわく「沖縄では、三時、四時が当たり前」と言うのを、聞かぬふりをして、かなり酔って十時近くに帰宅。久し振りの大破・轟沈だった。


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