八月三日(火)晴れ。
朝から忙しかった。郵便局、事務所、家電の量販店、銀行と回って大汗かいた。事務所で、探し物をしている間、わずかな時間なので、クーラーをかけずにいたら、汗でベトベトにになってしまった。
原稿が一段落したので、野村先生のビデオ・ライブラリーの整理をしている。群青忌関係のビデオをDVDにダビングしたり、そのジャケットを作ったり、私的には、好きなことをしているので、楽しくて仕方がない。外は、暑いし、自宅でのんびり仕事をしている時が、楽で有り難い。
懐具合がよければ、書店へ行って、好きな本をガァーッと買いたいのだが、そうも行かないのが残念である。そういえば、敬愛する(と言ってもお会いしたことはないが)嵐山光三郎センセイが連載している「週刊朝日」の「コンセント抜いたか」の今週号に、寿司の板前と沖釣りに同行して、船上で釣った魚を握り寿司にする、という話があった。
ケッ羨ましいナァー。私は、以前から、腕の良い板前と一緒にアジアを旅することが夢だった。そう思うようになったのは、随分前に韓国の釜山にチャガルチ市場という、魚が専門の市場に行った時のこと。この市場は見ているだけでも楽しいのだが、好きな魚を選んで、併設の店で食べるのを売り物にしている。
魚の活きは良いのだが、料理するのがアジュマ(韓国のオバサン)なのだ。折角、ひらめを選んでも、包丁さばきがイマイチで、まな板も、あまり清潔とは思えない。従って、妙に刺身が生臭かったり、あまり良い印象はなかった。
また、ひらめのぶつ切りを、チョジャン(酢味噌)か、妙に黄緑色したわさびで食べるのはネェー。まあ、それも一興だとも思って、チャミスル(韓国の焼酎)の酔いにまかせて、エエッイっと食べた・・・。
このときに、日本人の板前が一緒だったら、どれほど刺身が生きてくるのだろうかと、思ったのだ。外国の日本料理屋や海鮮料理屋に入るたびに、その思いが強くなった。今更、板前の修業でもないし、残念至極。
以前、戸塚のダイエーの地下の魚のコーナーで、鰯を腹開きにする板前の包丁裁きに、しばし見とれたことがあった。見ていると簡単そうなので、大き目の鰯を十匹ほど買って、見ていた通りにやってみたが、これが中々上手く行かない。私も、料理が好きで、包丁も下手な方ではないが、やはり専門家とは大分違う。
嵐山先生のウンチクを聞きながら一杯やりたいナァー。でも回転寿司は行きません。センセイが何かの本の中に、世の中で「甘いもの」を幾つが挙げた中に、「警察の右翼の取り締まり」と書いたことは水に流しますから。
夜は、親父のたまり場になっている「たつ屋」で一杯と思ったら、定休日。アラララ。仕方がないので、野菜の天ぷらを沢山作って、うどんで一杯やった。気がついたら寝ていた。