八月十三日(金)曇り。
七時に起きた。家族でホテルのロビーに併設された食堂(レストランではない)で朝食。ここのホテルには三四回泊まったが、朝食を食べるのは初めてのことである。なぜか、それは、食事と言うよりも「餌」に近いからである。もちろん値段を考えたら文句を言えた義理ではないが、安さを売り物にして、こんな朝食をさせていると、必ず日本の食文化はダメになると思うからである。
しかし、わが家の家族は、そんなことはお構いなしに、ここの餌を喜んでいる。まあドライと言えば、そうかもしれないが、私の教育が間違っていたのかもしれない。オニギリ、玉子、みそ汁・・・。まあいいか。嫌なら泊まらなければ良い話だ。いつもは、チェックアウトギリギリまで寝ていて、近くの蕎麦屋で、朝から蕎麦湯割りに舌鼓を打ちながら、友との別れを惜しむという、浪人的不道徳な朝食兼昼食を楽しむのだが、子供連れで朝から酒でもあるまい。
食後は、ホテルの近所をぶらぶらしてから、別れの昼食は、ビストロでパスタ。愚妻と子供達は大喜びである。
三時半に新横浜着。家族と松本、小枝のお二人らと分かれて、私はそのまま東京へ。徐氏と山女仙人と共に、浅草で隠岐康氏のお世話で安着祝いを行なった。まず、私の好きな、蕎麦屋で、そばを食べるのを忘れて、「お茶割り」「蕎麦湯割り」を堪能してから、すし屋に転戦。しこたま飲んで、九時過ぎに我が家着。連日、非生産的な日々を過ごしている。