十二月四日(土)晴れ。
いやはや、久し振りにヒドイ二日酔いで朝を迎えた。幸いに子供達が学校が休みなので朝食や弁当を作らなくても良いので助かった。気がつけば十一時近く。朝風呂に入ってまたしばらく横になっていた。何とかからだが正常に戻ったのが三時近く。着替えて事務所に行き資料の整理や掃除を行った。
「武士の家計簿」という本が話題になり、映画化されたので見に行こうかと思っていた。しかし今週の週刊新潮に作者の磯田道史と映画で主演をした俳優との対談記事が掲載されていた。それを読んで、映画を見に行こうという気持ちが、すっかり萎えてしまった。
忠臣蔵の大石内蔵助の遠縁だと自称する磯田は、忠臣蔵の討ち入りが「大義」などではなく、「打算」だと言うのだ。彼は、大石らの討ち入りについて、こう言う「内蔵助は忠義心から討ち入りしたというけど、それだけだろうかと子供の頃から思っていました。討ち入らなければ大石家は山科で帰農し、そのまま埋もれたでしょう。けれど吉良を討ち取った結果、子孫は本家の浅野家に千五百石の高録で召抱えられた。討ち入った当人達が一瞬、切腹の痛みに耐えれば、子々孫々の代まで生活が保障された。彼ら武士は家が大事です。忠義ばかりでなく、子孫の将来まで考えて討ち入ったと思うんです」
とこんなことを言っているのだ。忠臣蔵の義士は、子孫の将来の出世の為に、切腹の「一瞬の痛み」に耐えたの言うのだからあきれるではないか。これを我が国では、下衆の勘ぐりと言う。
磯田と言う男は、つまり人間、とりわけ男と言うものの美学のカケラも持ち合わせず、金銭的な「打算」のみが、この男の全ての価値の判断なのであろう。
大石内蔵助の子孫と言うのが本当ならば、大石も死んでも死に切れまい。
私は、四十七士の子孫が、切腹後にどのような人生を歩んだのか寡聞にして存じ上げないが、子々孫々まで生活が保障された人たちが何人いたのか教えて貰いたいものだ。映画や本を手にする前に、磯田と言う男の正体が見えただけでも、くだらんものに金を使わずに済んだというものだ。