白雲去来

蜷川正大の日々是口実

義士討ち入りの日

2010-12-15 09:39:01 | インポート

十二月十四日(火)雨のち曇り。義士討ち入りの日。

 天気予報では、午前中に雨が上がり、午後からは十一月中旬並みの暖かさとなる。と言っていたが、正午近くになっても雨は上がらなかった。

 

 午前中は、お世話になっている方にご挨拶に行き、一旦自宅に戻って、二時過ぎに再び、外出。今日は、私が役員の末席を汚している団体の忘年会があり出席。会場は千葉県の東金と言うところにある料理屋。保土ヶ谷から電車で二時間もかかる。それでも総武線で保土ヶ谷から大網まで行き、電車を乗り換えて二駅。駅の書店で、新聞の書評にあった「海部俊樹回顧録」を購入しようと思ったら、生憎売り切れ。電車の時間が迫っていたので、慌てて買ったのが吉村昭の「桜田門外の変」の上巻。随分前に読んで、ハードカバーの物を持っているが、記憶も薄れているので購入した。ちなみに往復の電車の中で読了してしまった。

 

 当時の、井伊直弼と水戸藩とのすさまじい闘争の実態が良く分かり、「見てから読むか、読んでから見るか」と聞かれたら、絶対に、読んでから映画を見た方が良い。さすがは吉村昭と思った次第。

 

 六時から、宴会開始。親しい民族派の諸先輩や、同志の方々にご挨拶して、石井幸雄会長や本宮浩行氏からの心づくしの「魔王」をロックでやった。八時十二分の電車で帰宅。

 

 以前のブログで、「武士の家計簿」の作者のアホ加減を書いた。赤穂の義士たちが「一瞬切腹の痛みに耐えれば、子々孫々の生活を補償してもらえた」と書いたことを批判したら、どこかのアホが、「それってフツーに有名な話ですよ」というコメントを入れてきた。「フツーに有名」と言うならば、討ち入りした義士たちの遺族や遺児が、どれくらい、また何代にわたって生活を保障されたのか、具体的に実例を挙げて証明すべきである。こう言う感覚の人は、人を尊敬したり、自己犠牲と言うものに全く関心がない、あるいは、否定的な考えを持っているに違いあるまい。

 

 今日、(十五日)の産経新聞の「元気のでる歴史人物講座」に、赤穂義士のことについて、日本政策研究センターの主任研究員の岡田幹彦氏が「義の物語」と題して書いている。

 

 「日本人はなぜかくも忠臣蔵を愛好するのだろうか。それは大石内蔵助はじめ四十七士の生き方に日本人本来の美しい心と生き方を見出すからである。四十七士は日本人の清らかな正しい生き方の模範とされてきた。それゆえ四十七士は赤穂義士とたたえられ、『忠臣蔵』(忠義の武士の集り)と呼ばれた。もし外国人から『日本人とはいかなる国民か』と問われたならば、忠臣蔵を見せればよいと言った人がいるが至言である」

 

 これが素直な日本人の感情である。まあどこにも僻みっぽい者がいるから仕方がないが、「武士の家計簿」の作者が、武士の「義」に美を感じずに、金銭感覚のみを追求したところに、その人の性根を知ることが出来る。

 


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