十二月十七日(金)追加のブログ。
先日、菅直人首相が大東亜戦争の際の激戦地、硫黄島を訪問した。左翼思想の持ち主である菅首相は、当然、先の大戦を「侵略戦争」と規定し、靖国神社への参拝もしていない。その彼がなぜ硫黄島なのか・・・。ご遺骨の収集が終わっていないのは硫黄島だけではない。沖縄だってまだ、完全に遺骨収集は終わっていないし、フイリピンやガダルカナルだってそうだ。まあ行かないより行ったほうがまし、程度の今回の硫黄島行きだが、私の好きなブログに、心打たれるものが掲載されていたので、勝手に貼り付けさせて頂いた。是非ご一読をお願いします。
硫黄島訪問での秘話
菅首相は昨日、硫黄島を訪問し遺骨収集作業を視察した。自らも遺骨収集に加わり「遺骨を家族の待つ地に返すのは国の責務。一粒一粒の砂まで確かめ、一人でも多く帰還出来る様に全力を尽くす」と視察後の追悼式で挨拶した。収集前、菅は跪き両手を合わせ合掌し頭を垂れる。しかし、善く善く見れば軍手をした儘で遺骨が埋もれている場所で拝んでいる姿には違和感を覚えた。
人は遺骨の上を歩かない。此れは古来の日本人が厳しく護って来た道である。昭和47年(1972年)、高松宮宣仁殿下が硫黄島へ行かれた際の秘話が有る。
「壕の中に折り重なっていた遺骨は片付けたが、未だ遺骨が散らばっていた。壕の中に案内された宮様は、ハッと息を呑む気配を御見せになり、やがて地べたに正座し、両手を着き首を垂れ瞑想状態に入られた... 別の壕では靴を脱がれ素足で骨片の散らばる壕内に入って行かれた...」素足で歩かれ視察したのは、唯一高松宮殿下一人だったという。
菅にも素足でやれとは言わない迄も、せめて軍手を脱いで合掌するべきだったろう。遺骨収集を否定するものではないが、集めた遺骨や残る全ての遺骨を千鳥ヶ淵墓苑に埋葬するのだろうか。そうとは思えない。多くの遺骨で手狭となったと言う理由で、千鳥ヶ淵墓苑や靖国神社に代わり「国立戦没者追悼施設」の建立を企てるのではなかろうか。
日本政府が、先の大戦で犠牲となった方々の鎮魂の為に建てた慰霊碑はアジア各国やロシアに点在している。インパール作戦での日本兵の霊を鎮める為に、数年前、インドのレッドヒルの近くに慰霊碑を建立した。しかし、此処を訪れた人は皆愕然とする。施設のコンクリート床は手抜き工事で大きく傾き、薄汚れ、驚くことに肝心な慰霊碑が無いと言うのだ。シベリア抑留の帰還船が出たナホトカにも慰霊碑が在る。亡くなられた方々の霊を慰める為の碑なのだが、一般の人の墓と同じで実に安っぽく「日本人墓地」と書かれたそれは、とても悔し涙を飲んで亡くなった同胞を慰霊するものではない。政府に英霊への尊崇の念が無いから、魂の無い形だけのものになってしまうのだ。数年前に友人らと戦跡慰霊でサイパンを訪れた事が有る。日本政府の建てた慰霊碑は確かに存在してるが、やはり手入れが行き届いておらず寂しい佇まいをしていたのを思い出す。
異国の地や激戦地で斃れた方々は、祖国の為、家族を守る為、アジアの独立の為という大義に殉じたのだ。屍は此処に草生すとも「靖国で会おう」との言葉を残し散って往った魂は今、靖国に還り、滔滔と生き続けているのだ。「国立戦没者追悼施設」より、靖国神社を国の責任で護持し、国民挙って護国の英霊に感謝し、崇敬の誠を捧げる事こそ有要である。
『精魂を込め戦いし人未だ地下に眠りて島は悲しき』(御製)