八月十二日(日)曇り。
午後から雨という予報だったが、嬉しいことに予報が外れしのぎやすくなった。現在発売中の「週刊新潮」に、医者で作家の渡辺淳一が連載しているコラム「あとの祭り」に、「国旗と国歌」というものを書いている。そこに日本人として無視できないことが書いてあった。
まず「日の丸」については、「さわやか」であり、「白地に赤い日の丸。こんなシンプルでさわやかで、目立つ国旗は他にない」と持ち上げておきながら、国歌「君が代」に対しては、この色ボケ爺の本音が見える。色ボケでも、「赤く」ボケているとは思わなかった。
「国旗に対して国歌はどうだろうか。こちらは正直言って、あまり素晴らしいと、とは言いかねる」と言い。その理由として、君が代の歌詞を書いてから、その意味を説明し、「天皇が統治されるこの世は何代も永遠に、細かい石が寄り集まって、大きな岩となり、そこに苔が生えるまで、続いて欲しいものだ。これでは、みなが明るく歌う気になれないのは無理もない。だいたい天皇が統治する時代など、とうに第二次世界大戦で終わったはず。それから七十年近く経っているのに、いまだに「君が代」などと歌わせること自体、疑問である。ここは直ちに『わが日の本は』とか、『日本の国は』という言葉に変えたらどうか。(中略)これでは、『国家斉唱』などといわれても、素直に歌う気にはなれないと思うけど」。
また「歌詞に誤りが・・・」として、「さらにこの歌の内容に誤りがあることは、以前から指摘されていたことである。まず『さざれ石の巌となりて』とあるが、大きな巌が長い歳月で、波に触れるうちに細かい石つぶになるので、科学的に逆だとも言われていた。まぁ、それはともかく、冒頭の『君が代』だけは、なるべく早く変えるべきだと思うけど」などと、ふざけたことを書いている。
今の時代、様々な考えを持つ人がいると言うのは、否定しない。しかし、「信念」として、「君が代」に反対し、天皇の存在そのものを否定することを堂々と、週刊誌に書くと言うことは、肯定する立場の人たちからの、反撃もいとわないという覚悟も、当然あるものと思う。こういう連中の、発言こそ、近隣諸国になめられる原因の一つであるかもしれない。
私が相談役の末席を汚している大行社はもとより、全国の同志に、この男の書いた原稿を送り、新潮社共々糾弾するつもりでいる。
※渡辺淳一の不敬な原稿。「週刊新潮」8・16・23夏季特大号。