白雲去来

蜷川正大の日々是口実

オリンピックのこと。

2012-08-17 15:49:17 | インポート

八月十六日(木)晴れ。

あじぃ、あじぃと何回言っても涼しくなるわけではないが、だらしがないせいかつい口から出てしまう。それでも、今年の夏は、ほとんどと言ってよいほどクーラーを使っていない。節電と言えば聞こえがいいが、毎年この時期の電気代にひえーっと驚いてしまうからだ。まあ一時期、自宅を事務所代わりに使っていたので、コピー機など、様々な機械を使用していたのでアンペアーを五十に上げたので、その分基本料金も高いので仕方がない。そんな訳で、事務所から資料を沢山持ってきて、扇風機の風を受けて自宅のパソコンで仕事をした。

オリンピックが終了した。日本は、過去最高の数のメダルを獲得したそうだ。残念ながら金メダルの数は予定していた数よりも少なかったらしいが、まあそれでも日本人選手は良くやったと思う。女子のバスケットやフェシング、あるいは男子のサッカーの試合で、「ここまでやるか」と思うほど、アンフェア、あるいはマナーの悪さが目立った国があったが、幸いに我がサムライ日本となでしこジャパンと言われた選手の人たちは、賞賛を浴びさえすれど、非難などされた選手は一人もいなかった。このことの方が金メダルに値すると私は思う。

私がオリンピックと言うものを意識したのは、1960年のローマオリンピックだった。私は小学校の五年生。家にテレビがあったと思うが、オリンピックに興味などなかった。女子の百メートル背泳で田中聡子さんが銅メダルをとった。そのことが新聞に出ていて、「田中嬢銅メダル」とか書いてあったが、私は、その「嬢」が若い女性の代名詞であることを知らずに、女のくせに「ジョー」なんて変な名前だと思ったことを覚えている。

私にとって、オリンピックと言えば、ローマの四年後の東京オリンピックだ。中学二年生で陸上競技部に籍を置いていたせいもあって夢中になってテレビの中継を見た。私は、何年たってもあの昭和三十九年の十月十日の青空を思い出すことができる。その空に「源田サーカス」と言われた自衛隊の航空部隊の人たちが描いた五輪の輪・・・。聖火が灯されるときのファンファーレ・・・。規律正しい日本選手団の入場・・・。子供ながら日本人であることが誇らしかった。

と思っていたら、作家の林真理子さんは、週刊文春の彼女の連載コラム「夜ふけのなわとび」の中で、私とは全く正反対の印象を持ったことを書いている。こんな風に。

「かの東京オリンピックの時、私はまだほんの子どもであったが、日本選手団の行進を見ていて、とてもがっかりした記憶がある。さっそうとして足が長い白人に比べ、短足胴長の日本人はもっさりして見えた。赤いブレザーに白いズボン、スカートという格好も体型の悪さからとても野暮ったい」と思ったそうだ。

これを読んだ時に、私はやっぱり彼女は歪んでいる、と思った。自らの顔と体型に対するコンプレックスが幼少のころからあったのだろう。私は、あの日本選手団の入場行進ほど素晴らしいものはなかったと思っている。決して短足胴長というような印象はなかった。全く反対に、とても大きくスラッとして見えたのだ。林さんは、どれくらいのお金持ちの家に生まれたのかは知らないが、子供の頃からのコンプレックスが、人を斜めに見るという性格になってしまっているのかもしれない。何となく分かるような気がする。

巷は、お盆休みということもあって連日、我が酔狂亭にて月下独酌。

333041※東京オリンピックの日本選手団の入場。林さん美的感覚がおかしいんじゃないの。


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