白雲去来

蜷川正大の日々是口実

この逆風を改憲のチャンスに。

2012-08-29 11:11:38 | インポート

八月二十八日(火)晴れ。

獄中に座る友人から残暑見舞いを兼ねた手紙が届いた。「今年の夏は、寝苦しい日が続き、最近になってようやく朝晩、居房に風が入るようになった」と書いてあった。刑務所と言う所は、冬は、「寒獄」、夏は灼熱の「地獄」となる。加えて、四六時中同じ人間と生活しているわけだから、煩わしさが常に付きまとい、余計に息苦しくなる。しかし、表現者は、例えわずかな日数でも獄中経験をすることに意義がある。「広める事の出来ぬ時は、高めることに専念する」ということを学ぶには最高の場所なのだ。まあ若いときに限るが。その獄中の友からの手紙には、「残刑は後一年になりました」とあった。

そういえば、後輩がつまらぬことで逮捕され、初犯にもかかわらず一年十ケ月の実刑となってしまった。後悔しても遅い。出る事ばかり考えないで、「どれだけ学べるか」に努力すべし。と手紙に書いてあげるつもり。

夜は、転勤する友人との一献会を自宅近くの寿司屋「浜一」で行った。ここのオヤジは私の中学の先輩で妹さんは同級生である。カウンターには、すでに五、六人の先客がいた。その人たちの話題は、無礼な韓国と支那の昨今の振る舞い。こういった一般の人たちが声を揃えて、韓国、支那を非難していた。当然だろう。私は、こういった外圧によって、国論がまとまることは良いことだと思っている。次の選挙がいつあるか分からないが、改憲、国防の充実、といったものを公約にしないような政治家は、落選するに違いあるまい。

固有の領土を略奪されるという、国家主権を侵害されているにも関わらず、何もできない現在の日本の状況。かつて私たちは、明治の先人、とりわけ福沢諭吉らがなぜ「脱亜論」を説いたか、あらためて考えるべきである。北京で、公使の乗った車が襲われ、車に付いていた「日の丸」が奪われたにも関わらず「遺憾の意」しか表明できない。あの日の丸は単なる旗ではない。日本の国家そのものなのだ。それを侮辱されても何とも思わないような国家と国民であって果たして良いのだろうか。

かつて、小村寿太郎が清国大使として赴任した時に、あるパーティーで背の小さいことを李鴻章から指摘された時に、大男の李鴻章に向かって、「わが国では、大男のことを『ウドの大木』、『大男頭に知恵が回りかねる』という言葉がある」とやり返したそうだ。この気概が、日本の政治家にないのか。まあそれはともかく、改憲、国防力の充実と言ったものを、国民が意識する良い機会と思うしかない。


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