白雲去来

蜷川正大の日々是口実

文藝春秋の「語られざる証言」は、イマイチだった。

2012-08-21 17:56:28 | インポート

八月二十日(月)晴れ。

オリンピックのメダリストのパレードに五十万人もの人たちが集まったそうだ。出来たらビルからの紙吹雪の嵐が見たかった。またどうせパレードをするならば二重橋前まで行って両陛下にご会釈を賜る。四年後はそうであってほしいものだ。コロコロ変わる首相よりも、万世一系のご皇室の方が何万倍も尊いのは言うまでもない。マッ比べたらだめか。とにかく、メダリストに限らず、参加なされたすべてのアスリートに拍手。

女子サッカーのなでしこジャパンは、大会中のイエローカードがわずかに一枚。参加した中で一番少なかったそうだ。それでこそ「大和撫子」である。勝つことも大切だが、アマチュア競技ではフェアプレイこそ尊いものだ。そういった選手が日本人の代表であることを誇りに思う。どこかの国に見習わせたいものだ。

柔道だって、金メダルが取れなくなったと言っても、日本柔道らしく「一本」にこだわってほしい。プロレスじゃないんだかから、チマチマした柔道をしても仕方がない。永久に、「柔」の「道」の伝統を守ってほしいと思っている。

午前中は、上の子供を連れて歯医者へ。終了後は、ランドマークの中にある書店で親子で暇つぶし。私は、月刊「文藝春秋」を買った。今月号の特集「太平洋戦争―語られざる証言」に興味があったからだ。一階にあるスタバで、「ホツトのショートラテ」(やっと最近言えるようになった)を飲みながら、読んでみたが特集としては良いが、まあ早い話が、「巷間言われてきましたが、『実は、こんなこともありました。これが真実です』」といった、余り後味の良くない記事(証言が)多かったように感じた。正直言って感動するようなものが一つもなかった。きっと編集者が若いんだろうな。買って損、とは思わないが、タイトルにあるように「完全保存版」の価値はないと思った次第。

Photo※★二つ。お暇でしたら・・・。

夜は、相変わらず酔狂亭で「月下独酌」。頂いた「金霧島」はハレの時に飲むとして、「黒霧島」の減りが早い。


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知らざれる民族派の仕事。

2012-08-21 00:07:14 | インポート

八月十九日(日)雨のち曇り。

 昨日、午前中にお墓参りに行った。本当は、十四、五日頃に行く予定ていたが、東名高速が大渋滞とのニュースで断念し、昨日の午前中に行った。高速はさほど混んでいなくて助かった。浄発願寺に着き、まずはご住職にご挨拶。聞けば、お盆の時に、先生のご子息の勇介君が家族で来たとのこと。お墓がきれいになっていた。ご住職には、誰がお墓参りに来たのか、確認してもらっているので、大体誰がいつ来たかが分かる。

 まず先生のお墓に詣でたのちに、両親のお墓に挨拶。すぐそばに埋葬した金魚の、キンコとカンコにも線香を手向けた。帰る頃になって、雷鳴が轟き、雨が落ちてきた。

 日本人の地方議員の人たちが尖閣諸島の魚釣島に上陸した。我が国の固有の領土に上陸しただけなのにニュースになるのだからおかしな話である。それも警察が事情聴取をすると言うのだから笑わせる。こんな弱腰だから、ナメられる。それはさておいて、彼らが日の丸を掲げた灯台。あれは、日本青年社と言う民族派団体が「領有決死隊」を組織して、自費で建設した物なのだ。その灯台補修の責任者だったのが亡くなられた萩野谷輝男さん。日本青年社はもちろんのこと、萩野谷さんたちのご苦労を知っているだけに、単に「右翼」と言うだけでほとんどその事実が報道されないことに納得が行かない。しかし、そんな同志、先輩たちを私は誇りに思う。

Z220120819gz0jpg00030800101※この灯台です。

 また、天皇、皇后両陛下がサイパン島を訪れた時に、通称「バンザイクリフ」で黙とうを捧げたが、あの場所を整備したのは、やはり民族派の蒼風社という団体である。サイパンの観光パンフには必ず掲載されているバンザイクリフの忠魂碑もやはり蒼風社が建立し、その七周年の記念式典に招待され祝辞を述べさせて頂いた。

90990021※バンザイクリフの忠魂碑。七周年慰霊祭の模様。

大行社も台湾の桃園県に蒋介石の銅像を建立した。そこは公園として整備され、地元の人たちの憩いの場所となっている。このように、民族派の地道な活動も十分世の為、人の為になっていることを知ってほしいものだ。

Dsc05851※大行社が建立した台湾にある蒋介石の銅像。

 日曜日は、朝から自宅の掃除と、二人の子供にハッパをかけて洗車の手伝いをさせた。普段、車など洗ったことはないが、いい天気なので水遊びを兼ねての洗車。まあもう小さい時とは違って、喜んではくれなかったが。

 夜は、帰郷していた後輩が帰宅したので、カメ&アコちゃんや大行社の内川徳彦君を誘って、京急は戸部駅の近くの沖縄料理屋で一献。テビチがなかったのは残念。その後、福富町に転戦して、十時過ぎに帰宅。

 私の好きなブログに「ねずさんのひとりごと」というものがあります。二回にわたって北方領土の「占守島の戦い」というとても素晴らしい文章があります。是非ご一読をお願いいたします。


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