八月十四日(火)雨のち曇り。
最近は、「夕立」という言葉をあまり聞かなくなった。そのかわりに「ゲリラ豪雨」などという言葉を良く聞く。風情も何もあったものでもない。風情と言えば、男は、浴衣の胸を開けて、団扇で風を送ることができるが、女性はそうもいかない。ゆえに、「夕涼みよくぞ男に生まれけり」。あーあ昭和は実に遠くなってしまった。
韓国の李明博大統領の常軌を逸した行動や言動が続いている。よりによって天皇陛下を侮辱するような発言は、単に韓国の大統領というよりも、人間的な卑しさを感じてしまう。巷間言われているように、大統領の実兄や身内が不祥事で逮捕され、自身にも捜査の手が伸びていることに対するパフォーマンス。次の選挙で野党に政権が移っても、何とかお目こぼしをしてもらおうと思っている下心が見え隠れする。
しかし、そういった行動や発言をする彼の姿に、デパートのおもちゃ売り場で、欲しい物が買って貰えずに、寝転がって両手両足をバタバタさせて駄々をこねている子供を連想してしまう。結局、いつも根負けして、物を与えてしまうのは、お母さんならぬ日本なのだ。
竹島だって、侵略している、実は自分たちのものではない。という後ろめたさがあるからこそ、あれだけ大騒ぎする。犯人が、「俺はやっていない。やっていない」とうろたえる姿に良く似ている。本当に自分たちの領土と言う確信があるのならば、ジタバタと大騒ぎをすることはないのだ。いくら中国が、沖縄に食指を伸ばしていても、日本が、ことさら沖縄を、わが領土とか強調するか。茶の湯でも嗜んで、もう少し泰然自若としてほしいものだ。
首相、大統領の「品位」というものが、ある時は、国家の「品位」として評価されることがある。昭和二十年の年四月十一日と言えば、我が国は、米英を中心とする戦いに、ほぼ敗戦が色濃くなっている時。同盟国のナチスドイツも連合軍により東西からベルリンに侵攻し、ヒトラーの命運も尽きかけたころ。敵国である米国の大統領ルーズベルトが病死した。その直前の四月七日に我が国では鈴木貫太郎提督に大命が降下し老提督が首相となった。鈴木首相は、同盟通信社の古野伊之助を呼び、ルーズベルトの死に対してアメリカ国民に対する弔電の発信を依頼する。その内容は国内には公表されず、古野の独断で英文により世界に発信させた。
「今日の戦争においてアメリカが優勢であるのは、ルーズベルト大統領の指導力がきわめて優れているからです。その偉大な大統領を今日失ったのですから、アメリカ国民にとっては非常な悲しみであり、痛手でありましょう。ここに私は深甚なる弔意をアメリカ国民に申し上げる次第です」と。これに対して、ヒットラーのドイツは、公式声明を出し、「ルーズベルト大統領は今次の戦争を第二次世界大戦に拡大した扇動者であり、さらに最大の対立者であるソ連を強固にした愚かな大統領として歴史に残るであろう」というものであった。
ナチの圧迫を逃れて米国に亡命中だったドイツの作家トーマス・マンは、日独両国の対応の余りの差に愕然とし、急遽祖国に向けて声明を出す。「ドイツ国民諸君。皆さんは大日本帝国の鈴木貫太郎首相が、故ルーズベルト大統領を偉大な指導者と呼び、その死に際してアメリカ国民に対し深甚なる弔意を表したことをどう考えますか。東洋の国日本には、いまなお騎士道が存在し、人間の品性に対する感覚が存する。今も死に対する畏敬の念と、偉大なるものに対する畏敬の念が存する。これが日独両国の大きな違いでありましょう」と。(参考・阿川弘之氏の本など)。
この鈴木貫太郎首相の弔電がスイスの新聞バーゼル紙によって報道されるや、世界の人々は、日本人の武士道、日本精神、首相の品位というものに対して、感嘆したと言う。李大統領にもこのような「品位」が求められていると言うことを、誰か教えてあげる韓国の国民はいないのだろうか。
今日は、一日自宅で、原稿書き。「燃えよ祖国」の最新号の校正。もうすぐ完成する。出せば出すほど赤字となる雑誌だが、こんなことでもしていないと魂が腐る。雑誌や出版物は、書くものと、それを出版する者の覚悟と責任が問われる。