白雲去来

蜷川正大の日々是口実

自由の女神の台座に刻まれた碑文の一節

2017-02-01 12:28:27 | 日記
一月二十九日(日)晴れ。

その昔、野村先生のお供をしてパリを旅した時。セーヌ下りの観光をした。その際、パリに「自由の女神像」があるのを見て、へぇーっと思っていたら、ガイドさんから、ニューヨークの「自由の女神像」は、フランスがアメリカに寄付したものと教えて頂いた。その台座には、こういう言葉が刻まれているそうだ。

「私に与えなさい,自由に生きたいと請い願う、貴国の疲れた人々、貧しい人々の群れを,人間が溢れんばかりの貴国ではクズともみなされる、みじめな人々を。家もなく、嵐にもてあそばれる、これらの人々を、私のもとに送りなさい。黄金の扉のかたわらに、私は灯をかかげましう。」
~自由の女神の台座に刻まれた碑文の一節~※どなたかのネットの引用です。

自由の女神像に代わって、トランプの銅像が建てられることになるかもしれない。

ようやく、『燃えよ祖国』の第二二八号を発送した。特集は、「私は、安部総理の真珠湾訪問をこう思う」。読者、社友、運動家の方々十五名から原稿を頂いた。残念ながら二名の方の原稿が間に合わず、次号での掲載となった。皆さんに感謝申し上げます。

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夜鷹蕎麦、一杯十六文。

2017-02-01 11:34:42 | 日記
一月二十八日(土)晴れ。

蕎麦とうどんとどちらが好きか。と言われると、迷う。早い話が両方好きなのである。蕎麦でも、「ざる」や「もり」のように冷たい蕎麦を食べるときは、やはり蕎麦に拘る。暖かい蕎麦を食するときは、どちらかと言えば、「駅そば」のファンだ。高級な店でも、温かい蕎麦は、それほど美味しいと感じない。値段ばかり高くて、もったいない感が溢れる。駅そばの「かき揚天そば」で十分なのである。ちょっと足りない時は、竹輪かコロッケを追加する。うどんもほぼ同じ感覚である。

最近好きなのは、冷たい蕎麦に暖かいつけ汁に天ぷら。という組み合わせのもの。この時は、蕎麦に拘るので、駅そばでは決して食べない。横浜に行きつけのお店が何軒かある。インスタント麺は「緑のたぬき」。これ一筋である。

蕎麦と言えば、時代劇に出てくる、屋台の蕎麦屋。「二八蕎麦」とか「夜鷹蕎麦」とか言われていた。二×八で十六文だったとか。因みに、諸説はあるらしいが、江戸時代、一文は現在の十二円から十八円ぐらいだったとのこと。私が愛用している『楠本憲吉歳時記』という本の中に出ていたのが、「夜鷹蕎麦、一杯十六文」という話。

「同じく(夜鷹蕎麦屋と)深夜営業の夜鷹(しょう婦)が上得意であったところからその名が出た。ちなみに夜鷹のお値段は二十四文であった。糸立てという夜鷹の専用語があった。糸経のことで、麻糸を経とし、藁(わら)を横として編んだムシロのことで、なにしろ夜鷹は青カン派だから、これが商売上の必需品。新しい糸立てをはじめて敷くときには、心祝いに夜鷹蕎麦一杯おごるのが、客としてのエチケッ卜であり、遊び人としてのマナーであったわけ。つまり、吉原の三ツ蒲団の敷きはじめに準じた祝儀で、夜鷹の場合は、その祝儀が十六文の蕎麦であるところが、なかなか泣かせる風情というものだ。今や、東京の若い人たちが蕎麦という語で連想するのがラーメンであり、本来の蕎麦のことを「日本そば」と称して怪しまぬ現在、夜鷹蕎麦こそ遠くなりにけりというものだ」。

一日、事務所にて機関誌の校正。明日には、発送できそうだ。夜は、酔狂亭で独酌。

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