二月四日(土)晴れ。
野村先生が、河野邸焼き討ち事件にて十二年の判決を受けて、「赤落ち」(未決から、既決囚となって刑務所に行くこと。昔は、囚衣が赤い色に近かったため、その服を着ることからその言葉が出来た。また吉村昭が北海道における囚人たちによる開拓の実態を描いた歴史小説に『赤い人』という題をつけている)。した際、千葉刑務所で刑務官から他所の拘置所から来た人二人と一緒に、面接を受けた。その時に、刑務官が、「独り短いのがいるな」と言ったので、先生は、誰かと思って両脇の人に視線を向けたら、すかさず刑務官が、「野村、お前だよ」。先生は、この時、十二年。隣の人は、無期懲役、もう一人の人は、無期で仮釈放で出所してから、また殺人事件を起こし、更に無期懲役が重なった、ムキムキマン。(無期、無期)。改めて、ここが長期刑務所であることを実感した。と聞いたことがある。
そして無我夢中で、二年が過ぎて・・・。ああやっと二年か。と思った時、そうか、これからまだ十年も務めなければならないのか。と思た途端に、体に震えが来たと言う。「残刑は十年もある『明日も雪か』」の句は、その時に詠んだものと聞いたことがある。
昨日、友誼団体の新年会に出席した際に、そんな先生との思い出話をさせて頂いた。
私は、先生の代表句、「俺に是非を説くなー」は勿論だが、冬の句の中では、「雪の夜の壁に貼りつく汽笛の尾」が好きだ。この句の侘しさ、哀しさは、体験したものでなければ分からないだろう。
三浦朱門さんが死去との報有り。三浦さんと言えば、奥さんの曽野綾子さんととても仲が良かったと聞いている。色紙などに揮毫を頼まれると、「妻をめとらば曽野綾子」と書くと、何かで読んだことがある。合掌。
おいしいシャンペンを飲み、かつお土産に頂いて、千鳥足で帰宅。
野村先生が、河野邸焼き討ち事件にて十二年の判決を受けて、「赤落ち」(未決から、既決囚となって刑務所に行くこと。昔は、囚衣が赤い色に近かったため、その服を着ることからその言葉が出来た。また吉村昭が北海道における囚人たちによる開拓の実態を描いた歴史小説に『赤い人』という題をつけている)。した際、千葉刑務所で刑務官から他所の拘置所から来た人二人と一緒に、面接を受けた。その時に、刑務官が、「独り短いのがいるな」と言ったので、先生は、誰かと思って両脇の人に視線を向けたら、すかさず刑務官が、「野村、お前だよ」。先生は、この時、十二年。隣の人は、無期懲役、もう一人の人は、無期で仮釈放で出所してから、また殺人事件を起こし、更に無期懲役が重なった、ムキムキマン。(無期、無期)。改めて、ここが長期刑務所であることを実感した。と聞いたことがある。
そして無我夢中で、二年が過ぎて・・・。ああやっと二年か。と思った時、そうか、これからまだ十年も務めなければならないのか。と思た途端に、体に震えが来たと言う。「残刑は十年もある『明日も雪か』」の句は、その時に詠んだものと聞いたことがある。
昨日、友誼団体の新年会に出席した際に、そんな先生との思い出話をさせて頂いた。
私は、先生の代表句、「俺に是非を説くなー」は勿論だが、冬の句の中では、「雪の夜の壁に貼りつく汽笛の尾」が好きだ。この句の侘しさ、哀しさは、体験したものでなければ分からないだろう。
三浦朱門さんが死去との報有り。三浦さんと言えば、奥さんの曽野綾子さんととても仲が良かったと聞いている。色紙などに揮毫を頼まれると、「妻をめとらば曽野綾子」と書くと、何かで読んだことがある。合掌。
おいしいシャンペンを飲み、かつお土産に頂いて、千鳥足で帰宅。