白雲去来

蜷川正大の日々是口実

関内と関外。

2017-02-21 11:40:17 | 日記
二月二十日(月)曇り。時々雨。

風が強い。わが陋屋が風に怒鳴られているようで、夜半に目が覚めてしまった。朝のニュースでは、何でも「春二番」とか。午後一番で、打ち合わせがあり、運動がてら歩いて行こうかとも思ったが、風が強く、また空を見上げると、今にも泣き出しそうだ。あきらめて車で出かけた。打ち合わせは、あっという間に終わり、事務所に行こうかとも思ったが、家にいる子供たちに連絡して、昼食を共にした。

場所は、伊勢佐木町の入口にあるインド料理の「モハン」。ここのナンが大好きである。私は、今日のランチの「バターチキン」。伊勢佐木町は、今は高速道路になっている、その上の橋を渡ると関内。伊勢佐木町側は関外と言った。その昔、尊皇攘夷の浪士を取り締まるために、外国人居留地のあった関内に入る橋に関所を設けて取り締まった。関所の中に入るから関内。関所の外だから関外と呼ばれた。横浜には、関内、関外という住所表記はなく、所謂通称である。今、関内と言うと、JRの関内駅と、駅から海までの地域を言う。まあ普通「関内に行く」と言えば、単純に、飲み屋に行くことと同義語となっている。

横浜生まれの作家である獅子文六の『父の乳』という小説に、彼の父のお店があった場所が関内の海岸通りの一つ手前の通称水町通り(ウォーター・ストリート)にあったと書いている。明治の頃のヨコハマの関内の風景が、良く描かれている。そう言えば、横浜のマリンタワーの一階に「水町バー」というオシャレなお店があって、何度か行ったことがある。

食後の暇つぶしに、伊勢佐木町の書店、有隣堂へ行く。義勇軍の針谷大輔議長から勧められた、ピーター・ナバロの『米中もし戦わば』にしようかとも思ったが、『失敗の本質ー日本軍の組織論的研究』(中公文庫)が目に入ったので、購入した。何でも、この本は小池東京都知事の「座右の書」とか。楽しみである。

金正男が空港で襲われる映像を見た。今は、何処の空港でも防犯ビデオが完備されていて、そう言うことを知ったうえでああいうことを行うのだから、ど素人かプロなのか、判断がつかない。しかし、襲撃犯のおんなが、「ドッキリテレビだと思った」と言うのは、信用できない。それならば、なぜホテルの部屋で髪を切って変装しようと思ったのか・・・。利用されたのかもしれないが、何かを知っていたのには違いあるまい。そう言えば、大韓航空爆破事件の金賢姫も日本人蜂谷真由美を名乗り偽造のパスポートを持っていた。

夜は、酔狂亭で、「藁焼きのカツオ」を肴に独酌。黒霧よ今夜も有難う。

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忘れ得ぬ人たち-墓参。

2017-02-21 08:07:07 | 日記
二月十九日(日)晴れ。

良い天気である。午前中は自宅の片付け。十一時過ぎに、お墓参りに行く、仲間に迎えに来て頂く。今日は、若くして亡くなられた二人の方の墓参に、それぞれ共通の友人たちが集まる。

まず平成の十年に五十歳で亡くなられた、私の中学の先輩でもある山崎邦雄さんのお墓に。もう四十年近くも前のことだと思う。伊勢佐木町はオデオンのビルの前の雑居ビルの二階にスタンド・ロック(通称・ロック)という、今で言うとショットバー、その昔は、カクテルコーナーがあった。理容師だった山崎さんが、突然トラバーユして、スタンドロックの店長になった。そこでアルバイトをしていたのが、水原弘雅氏やランドマークのロイヤルパークを先年退職した山崎雅夫氏、そして現在横浜の大手設備会社で取締役をしているT氏などである。

その店の裏で、炉端焼き「花笠」を経営していたのが、尼野保氏のご母堂。保氏はそのお店を手伝っていた。勿論私もロックの常連だった。後輩の板垣哲雄さんや針谷大輔さんなども通った。後で知ったのだが、藤棚の「やまと」のご夫婦も結婚前に良くロックに行っていたそうだ。世間は狭い。山崎さんが、ロックをやめて「みかんの移動販売」や他の仕事をしていた時に、一緒に働いていたのが、統一戦線義勇軍の清和崇氏。皆さん、様々な山崎さんとのお付き合いの中で、もう十年以上も墓参を続けている。

戸塚の旧ドリームランドの跡地に整備された横浜市の墓地。三日前がご命日と言うこともあり、墓前には花が添えてあった。皆で、花を捧げ、ビールで献杯し山崎さんを偲んだ。その後に、平成十八年の三月四日に、東証立て籠もり事件にて、八年の刑を受け、戦線復帰を目前にして、肝臓癌にて八王子の医療刑務所にて亡くなった、板垣哲雄さんの墓参に行く。板垣さんのお墓のある新横浜の三会寺(さんねじ)には、日露戦争から大東亜戦争で亡くなられた軍人のお墓が沢山ある。日露戦争で亡くなられた方のお墓には、軍隊の階級を示すのに「兵」の旧称である「卒」の文字が刻まれている。私は、一月の二日に来たので、久しぶりと言う思いはなかったが、私以外の人たちは、一年ぶり。供花し、線香をあげて、哲ちゃんの好きだった酒をお墓にかけて手を合わせた。来年は、十三回忌となる。それまではお世話させて頂こうと思っている。

直会は、弘明寺の尼野保さんのお店「花笠」にて。山崎、板垣氏を偲んでの一献会。その後、山崎雅夫さんと、藤棚の「やまと」から「すくね」に転戦。久しぶりの大破・轟沈の夜だった。※昭和五十二年、花園神社にて行われた「経団連事件」の支援集会。前列、右側にいるのが板垣さん。亡くなられた山崎邦雄さんや水原弘雅さんも写っている。

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