白雲去来

蜷川正大の日々是口実

浅草へ。

2017-02-09 17:03:52 | 日記
二月八日(水)晴れ。

朝起きて、PCを開いたら、画面に「青山ミチさん死亡」の文字が。青山ミチと聞いても、恐らく、若い人たちには、それって誰?という感じだと思う。私たちの世代、特にヨコハマでは、その昔のアイドルだった。

横浜市出身。父親がアメリカ人(在日米軍の黒人兵)で母親が日本人のハーフ。昭和三十六年、ジャズ喫茶が主催する素人ジャズコンクールで入賞したのをきっかけにポリドール・レコードの目にとまり、翌年に「ひとりぼっちで想うこと」でレコードデビューした。パワフルでパンチのある歌声で、ミッチーの愛称で親しまれ、昭和三十七年には「ミッチー音頭」が、昭和四十年にはエミー・ジャクソンと競作となった「涙の太陽」が大ヒットした。

「風吹く丘で」の発売を控えた昭和四十一年十一月に覚せい剤で逮捕され、レコードの発売がお蔵入りとなる(後に「亜麻色の髪の乙女」に改題され、ヴィレッジ・シンガーズの歌唱で大ヒットとなる)。昭和五十三年に再び覚せい剤で逮捕され、芸能界から追放状態となる。その後、三度目の覚せい剤による逮捕で実刑判決を受け、表舞台から完全に姿を消した。(ウイキ)

まあ波乱万丈と言おうか、単なるお騒がせな女だったのか、良く分からないが、随分前に本牧のゴールデンカップに出たこともあり、ボチボチ頑張っているな、と思っていた。私より二歳年上だった。合掌。

夜は、愛国党の舟川孝、雪田顕正の両氏や群青の会の大熊雄次氏と私が、オスカー、キロ、インディアさん(ファナティック・コードです)にお世話になり、浅草の焼肉の人気店「本とさや」で食事会。その後、錦糸町の「223」へ転戦。一時間ほど飲んで帰宅。

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