二月三日(金)晴れ。
節分か。子供たちが小さい頃は、私が鬼のお面をかぶって、豆をぶつけられたものだが、子供が大きくなるにつれて、いつしかそんな習慣も我が家ではなくなった。立春の前日が節分。といっても、まさに「春とは名のみの寒さかな」である。
日本人は、暖かくなったから春になるという感じではなく、春になったから暖かく感じるのであろう。春と言う言葉を聞くと、すぐに頭に浮かぶのが、杜牧の「江南の春」。
千里 鶯啼いて 緑紅に映ず
水村 山郭 酒旗の風
南朝 四百八十寺
多少の楼台 烟雨の中
水辺の村にも山あいの村にも、飲み屋の印の青い旗が風に翻っている。今では、飲み屋のネオンが眩しいか。という訳で、友人らと、久しぶりに中華街にて一献会。紹興酒が肚に染みた。九時に解散して、一人で「サリーズバー」へ。ひょっこりエディ潘が来て、昔話に花が咲いた。
節分か。子供たちが小さい頃は、私が鬼のお面をかぶって、豆をぶつけられたものだが、子供が大きくなるにつれて、いつしかそんな習慣も我が家ではなくなった。立春の前日が節分。といっても、まさに「春とは名のみの寒さかな」である。
日本人は、暖かくなったから春になるという感じではなく、春になったから暖かく感じるのであろう。春と言う言葉を聞くと、すぐに頭に浮かぶのが、杜牧の「江南の春」。
千里 鶯啼いて 緑紅に映ず
水村 山郭 酒旗の風
南朝 四百八十寺
多少の楼台 烟雨の中
水辺の村にも山あいの村にも、飲み屋の印の青い旗が風に翻っている。今では、飲み屋のネオンが眩しいか。という訳で、友人らと、久しぶりに中華街にて一献会。紹興酒が肚に染みた。九時に解散して、一人で「サリーズバー」へ。ひょっこりエディ潘が来て、昔話に花が咲いた。