白雲去来

蜷川正大の日々是口実

何が表現の自由だ!

2018-03-03 12:14:38 | 日記
二月二十八日(水)晴れ。

体は正直で、具合が悪い時は、延々と寝ていられる。考えてみれば、昨日の五時ごろから布団に入って、夜にお粥を食べた以外、今朝の八時過ぎまで寝ていた。どうやら熱は下がったが、まだ関節の節々が痛く、寒気もするので、簡単な朝食を済ませてから、オデコにタオルを載せて寝ていた。有難いことに、春休みで子供たちが家にいるので、何かと助かる。

昨日のことだが、『週刊新潮』から電話取材があった。何やら、とても不敬(ふけい―皇室や寺社に対して、敬意を失すること)な映画が製作されたと言うもので、コメントを求められた。ストーリーの一部を読んで頂いたが、とても口に出来るような内容のものではない。(詳しくは、現在発売中の『週刊新潮』の特集記事を読んでみて下さい)映画を見たわけではないので、記者にストーリーを要約して話して頂いたが、とんでもない内容のものであった。大体このような映画を良く「映倫」は通したものだ。そんな「映倫」にも責任の一端はあるだろう。

こういうことで抗議をすると、決まって「表現の自由」とか「見ていないのに批判するのはおかしい」とか言う輩が必ずいる。「表現の自由」の「自由」とは、「何をやっても構わない」という「自由」とは違う。そこには、人としての倫理観やある程度の制約も必要であると思う。こんな映画を作るのが「表現の自由」と言うのならば、その映画に反対し、行動を起こすことも「表現の自由」としなければならない。

三年前に起きた、フランスの風刺週刊誌「シャルリー・エブド襲撃事件」がふと浮かんだ。イスラム過激派を風刺した絵を掲載した、その週刊誌の本社に覆面をした複数の武装した犯人が襲撃し、警官二人や編集長、風刺漫画の担当者やコラム執筆者ら合わせて、十二人を殺害した事件は報道と表現の自由をめぐる議論が起こった。無差別のテロ行為は支持できないが、自分の信じるもの、あるいは尊敬し愛する人の尊厳を守ろうとして命を賭ける人と言うのは、日本に限らず世界中に存在する。正確ではないかもしれないが、「テロも民主主義の健全な表現方法」と言ったのは、確か三島由紀夫だったと思う。
映画の提供は、大蔵映画(株)で、作ったのは、荒木太郎という男とか・・・。

「見ていないくせに」と言う人がいるかもしれない。しかし、この饅頭に毒が入っていると知って、わざわざ食べるのはただの馬鹿。

まだ体が本調子ではない。アンコウの切り身を刈って来て貰い「ズンドゥブ」に入れて体を暖めた。二日も酒を控えている。たまには、体調不良も良いかもしれない。

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