三月五日(月)曇り後雨。
昨日から、事務所の片づけをした。本の整理に時間がかかった。どうしても本棚に収まり切れない雑誌類などは、泣く泣く処分した。その数、二百冊余。後ろ髪引かれるというのはこのことだ。七日に取材があるので、それまで、少しはきれいにしておこうと、頑張った。実は、事務所で使っていた掃除機が壊れた。ちょうど、お見舞いのお返しのカタログが届いたので、その中あった掃除機を頂き、それが活躍した。
本の間から、懐かしいパンフなどが沢山出てきて見入ったり、記憶の彼方にあった本が出て来たり、遅々として進まなかったが、まあ久しぶりに楽しい作業となった。その中に亡くなられたポール牧さんの『生きるための言葉』(河出書房新社)という本が出てきた。平成七年初版で、私が頂いたのは、二年後の第二刷のもの。本の裏には、私宛てに「鬼手仏心」との揮毫がある。「鬼手仏心」とは、外科医は残酷なほど大胆に手術するが、それは患者を治そうとするやさしい心によるものだという意味である。ポールさんは、「風の会」の選挙の時も推薦人として、応援して頂いた。何度か酒席を共にした時もある。
そのポールさんの本で、野村先生について書かれてあることを掲載してみたい。
野村秋介氏のこと―霧深し銅鑼の彼方に秋は逝くー
この句は、故野村秋介氏に供する私の思いと、氏の辞世の句である。「惜別の銅鑼は濃霧の奥で鳴る」に対する返句とでも言おうか。氏との出逢いはあるパーティの席上であった。司会を務めていた私に氏は近づき、声をかけた。「君はすばらしいボキャブラリーをもっているね、もしよかったら今晩食事でもしませんか」
学者を思わせる風貌と上品な物腰の氏からは、獄中十八年という戦歴を持つ行動右翼であることなど微塵も感じられなかったし、それ以後の氏との交遊の中で、私は一度たりとも世間で言われる強もての右翼といった感じを氏に抱いたことはなかったのである。時には少年のように顔紅らめて歌を唄い、悲しみには誰はばかることなく涙し、不条理に対し私たちと同じように怒る氏は、私にとってごく普通の人であり、良き友であり、先輩であった。ただ一つ特別なことといえば、「正義」というものに対するこだわりが人並みはずれていたことだ。
『生きるための言葉』のタイトルの横に、サブタイトルとして「舞う雪や生命の重さ演じなん」との俳句がある。命の重さを演じようとしていたポールさんは、平成十七年四月二十二日に自裁した。お笑いの陰に、何があったのかはうかがい知ることはできない。合掌。
昨日から、事務所の片づけをした。本の整理に時間がかかった。どうしても本棚に収まり切れない雑誌類などは、泣く泣く処分した。その数、二百冊余。後ろ髪引かれるというのはこのことだ。七日に取材があるので、それまで、少しはきれいにしておこうと、頑張った。実は、事務所で使っていた掃除機が壊れた。ちょうど、お見舞いのお返しのカタログが届いたので、その中あった掃除機を頂き、それが活躍した。
本の間から、懐かしいパンフなどが沢山出てきて見入ったり、記憶の彼方にあった本が出て来たり、遅々として進まなかったが、まあ久しぶりに楽しい作業となった。その中に亡くなられたポール牧さんの『生きるための言葉』(河出書房新社)という本が出てきた。平成七年初版で、私が頂いたのは、二年後の第二刷のもの。本の裏には、私宛てに「鬼手仏心」との揮毫がある。「鬼手仏心」とは、外科医は残酷なほど大胆に手術するが、それは患者を治そうとするやさしい心によるものだという意味である。ポールさんは、「風の会」の選挙の時も推薦人として、応援して頂いた。何度か酒席を共にした時もある。
そのポールさんの本で、野村先生について書かれてあることを掲載してみたい。
野村秋介氏のこと―霧深し銅鑼の彼方に秋は逝くー
この句は、故野村秋介氏に供する私の思いと、氏の辞世の句である。「惜別の銅鑼は濃霧の奥で鳴る」に対する返句とでも言おうか。氏との出逢いはあるパーティの席上であった。司会を務めていた私に氏は近づき、声をかけた。「君はすばらしいボキャブラリーをもっているね、もしよかったら今晩食事でもしませんか」
学者を思わせる風貌と上品な物腰の氏からは、獄中十八年という戦歴を持つ行動右翼であることなど微塵も感じられなかったし、それ以後の氏との交遊の中で、私は一度たりとも世間で言われる強もての右翼といった感じを氏に抱いたことはなかったのである。時には少年のように顔紅らめて歌を唄い、悲しみには誰はばかることなく涙し、不条理に対し私たちと同じように怒る氏は、私にとってごく普通の人であり、良き友であり、先輩であった。ただ一つ特別なことといえば、「正義」というものに対するこだわりが人並みはずれていたことだ。
『生きるための言葉』のタイトルの横に、サブタイトルとして「舞う雪や生命の重さ演じなん」との俳句がある。命の重さを演じようとしていたポールさんは、平成十七年四月二十二日に自裁した。お笑いの陰に、何があったのかはうかがい知ることはできない。合掌。