白雲去来

蜷川正大の日々是口実

牛に汗し棟(むなぎ)に充みつ。

2018-03-18 11:36:39 | 日記
三月十七日(土)晴れ。

随分前のことだが、まだいくらかお金に余裕がある頃、書店に行くと、目についた興味ある本を懐具合を心配せずに買っていた。すぐ読む本、資料で買っておく本、趣味の本、いずれ読もうと思う本、などだ。当然本はどんどんたまって行く。そのうちに書棚に収まり切れなくなり、部屋の空いているスペースを侵食して行くことになる。決して大げさではなく、正に、牛に汗し棟(むなぎ)に充みつ。すなわち、牛車に積んで運ぶと牛も汗をかき、家の中に積み上げれば棟木むなぎにまで届いてしまう、汗牛充棟の中で暮らしていた。

いやいや、蔵書の多さを自慢している訳ではない。ただ本が好きなのと、資料と趣味のために買っていただけだ。当然「積読」だけの本もあって、アレ、こんな本あったっけ。と記憶をたどっても思い出せない本も、片づけをしていると出てくる。大分、前置きが長くなったが、今読んでいる、嵐山光三郎先生の『文人悪食』(マガジンハウス)という本も、忘れていたものだ。趣味の「食」のコーナーの下敷きになっていた。スマン、スマンと三回ほど謝って、埃を落として読み始めているが、メッチャ面白い。買っておいた私の目には狂いはなかった。今、幸田露伴について書かれている所を呼んでいる。

「露伴という筆名は、旅をして野宿し、露を伴侶とするという意味である。露伴が書く旅さきの食事は、目を洗われるようにすがすがしい。はっとする新鮮な生のいぶきがある。それは多分に、露伴の筆力によるもので、貧しい僻地の素食は、露伴によって新しい生命を与えられる。わらびは「握り拳をよりあげて山の横面(よこつら)はる風吹く頃のやさしき姿」であり、「咬むに舌ざわり微(やさ)しく滑らかにして、云い難き嘉味(かみ)」と書く。わらびひとつに、えんえんと中国故事を引用し、山村のわらびとりの話、信濃のわらび、早池峰(はやちね)のわらび、と、自分が食べたわらびの味を書きわける」。
 
「わらび」かぁー。残念ながら美味しいと思って食べたことが無い。今日は、家族揃って四日早い私の誕生日祝いの食事会を行った。段取りして頂いたのは、Yちゃん、Hちゃんのお二人。最近不如意続きなので、今日のような豪華な鉄板焼きなどは久しぶりのことである。皆さん大満足しました。珍しく愚妻のおごりでした。

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