白雲去来

蜷川正大の日々是口実

小泉信三「読書論」の頃。

2018-03-10 12:10:45 | 日記
三月八日(木)雨。

稀に、私などに「民族派運動のためにどんな勉強をしたら良いのですか」などと聞かれることがある。決して、謙遜の意味ではなく、本当に浅学非才の私としては、身がすくむ思いがする。人に教えるような学識も才もない。ただ長くこの運動に関わっているから、生きた経験があるだけである。

「勉強」・・・。何をもって勉強かは分からないが、一番手頃で簡単なのは、読書であることは言うまでもない。この運動に入ったばかりの若き日、私もどんな勉強をして良いか悩んだことがあった。単に「本を読め」と言われても、どんな本をどのようにして読んだらよいのか、見当もつかなかった。そんな時、書店で偶然に手にしたのが、小泉信三の『読書論』(岩波文庫)だった。この本に出合わなかったならば、きっと私の人生も陳腐なものになっていたのに違いない。特に、杉田玄白らが「解体新書」を翻訳するときの苦労話は、それまで、「こんな難しい本は読めない」とあきらめていた私を奮い立たせ、「格闘して学ぶ」ことを教えてくれた。

また、読んだ本の中に書かれている「参考文献」や登場する人物について書かれた本を探して読んだ。そして、大学ノートに、その日の出来事を、毎日一頁書くという習慣をつけた。読んだ本の中に知らない言葉や熟語がある時は、ノートに写した。「乱読する時期を持つこと」と先輩に言われ、月に三十冊のノルマを決めて三年半、それに徹した。

考えてみれば、そんなことをしてもこの程度である。しかし勉強は、他人のためにするのではなく、自分自身のためにするものと思い、尊敬する同志の一人である西村修平さんの「大和魂は己の教養を飾るアクセサリーではない」と言う言葉を今も自身を顧みる言葉として学んでいる。

十日から行われる伊勢神宮の禊会に、野村一門から古澤俊一、志村馨親子が参加する。厳しい寒さの中、川の中での禊である。これも大切な心の勉強である。杉本五郎中佐の『大義』の一節が浮かぶ。汝、我を見んと要せば、尊皇に生きよ、我は尊皇精神のある処常に在り。尊皇の有る処、君常に在り、忠魂永久に皇基を護らん。

夜は、今年転勤する友人と送別の一献。この人と会う時は、いつも雨である。

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日々是、忙日。

2018-03-10 11:53:00 | 日記
三月七日(水)曇り。

嬉しいのか、嘆いてよいのか分からないが、毎日様々な用事があって、中々自分の時間が持てない。しかし、そういった諸事もあるだけ良いと前向きに考えなければ。老化防止にもなる。

朝は、久しぶりにマルシンノハンバーグ(群青の会の大熊雄次さんは、おでんに入れても美味しいと言っていた)ウインナー、目玉焼きにキャベツの千切り。ご存じの昭和飯である。みそ汁の具は、生ワカメ。どす黒いワカメが、熱々の味噌汁に入れると、とても鮮やかな緑色に変わるのを楽しみつつ食す。

午後から、事務所へ。某出版社にて、民族派関係の本を出版予定とかで、担当者の女性と、執筆者氏が訪問。(有名な方なのだが、企画が決定しましたならば、紹介したいと思います)。私なんぞにアドバイスを貰っても何の参考にもならないので恐縮する。一時間ほどで終了。

名古屋、大阪に旅行に行っていた下の子供が帰宅。私の好きな「守口漬け」、「千枚漬け」、「しば漬け」を買って来てくれる。頬がゆるむ。早速晩酌の肴に。おとなしく酔狂亭で独酌。

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