三月八日(木)雨。
稀に、私などに「民族派運動のためにどんな勉強をしたら良いのですか」などと聞かれることがある。決して、謙遜の意味ではなく、本当に浅学非才の私としては、身がすくむ思いがする。人に教えるような学識も才もない。ただ長くこの運動に関わっているから、生きた経験があるだけである。
「勉強」・・・。何をもって勉強かは分からないが、一番手頃で簡単なのは、読書であることは言うまでもない。この運動に入ったばかりの若き日、私もどんな勉強をして良いか悩んだことがあった。単に「本を読め」と言われても、どんな本をどのようにして読んだらよいのか、見当もつかなかった。そんな時、書店で偶然に手にしたのが、小泉信三の『読書論』(岩波文庫)だった。この本に出合わなかったならば、きっと私の人生も陳腐なものになっていたのに違いない。特に、杉田玄白らが「解体新書」を翻訳するときの苦労話は、それまで、「こんな難しい本は読めない」とあきらめていた私を奮い立たせ、「格闘して学ぶ」ことを教えてくれた。
また、読んだ本の中に書かれている「参考文献」や登場する人物について書かれた本を探して読んだ。そして、大学ノートに、その日の出来事を、毎日一頁書くという習慣をつけた。読んだ本の中に知らない言葉や熟語がある時は、ノートに写した。「乱読する時期を持つこと」と先輩に言われ、月に三十冊のノルマを決めて三年半、それに徹した。
考えてみれば、そんなことをしてもこの程度である。しかし勉強は、他人のためにするのではなく、自分自身のためにするものと思い、尊敬する同志の一人である西村修平さんの「大和魂は己の教養を飾るアクセサリーではない」と言う言葉を今も自身を顧みる言葉として学んでいる。
十日から行われる伊勢神宮の禊会に、野村一門から古澤俊一、志村馨親子が参加する。厳しい寒さの中、川の中での禊である。これも大切な心の勉強である。杉本五郎中佐の『大義』の一節が浮かぶ。汝、我を見んと要せば、尊皇に生きよ、我は尊皇精神のある処常に在り。尊皇の有る処、君常に在り、忠魂永久に皇基を護らん。
夜は、今年転勤する友人と送別の一献。この人と会う時は、いつも雨である。
稀に、私などに「民族派運動のためにどんな勉強をしたら良いのですか」などと聞かれることがある。決して、謙遜の意味ではなく、本当に浅学非才の私としては、身がすくむ思いがする。人に教えるような学識も才もない。ただ長くこの運動に関わっているから、生きた経験があるだけである。
「勉強」・・・。何をもって勉強かは分からないが、一番手頃で簡単なのは、読書であることは言うまでもない。この運動に入ったばかりの若き日、私もどんな勉強をして良いか悩んだことがあった。単に「本を読め」と言われても、どんな本をどのようにして読んだらよいのか、見当もつかなかった。そんな時、書店で偶然に手にしたのが、小泉信三の『読書論』(岩波文庫)だった。この本に出合わなかったならば、きっと私の人生も陳腐なものになっていたのに違いない。特に、杉田玄白らが「解体新書」を翻訳するときの苦労話は、それまで、「こんな難しい本は読めない」とあきらめていた私を奮い立たせ、「格闘して学ぶ」ことを教えてくれた。
また、読んだ本の中に書かれている「参考文献」や登場する人物について書かれた本を探して読んだ。そして、大学ノートに、その日の出来事を、毎日一頁書くという習慣をつけた。読んだ本の中に知らない言葉や熟語がある時は、ノートに写した。「乱読する時期を持つこと」と先輩に言われ、月に三十冊のノルマを決めて三年半、それに徹した。
考えてみれば、そんなことをしてもこの程度である。しかし勉強は、他人のためにするのではなく、自分自身のためにするものと思い、尊敬する同志の一人である西村修平さんの「大和魂は己の教養を飾るアクセサリーではない」と言う言葉を今も自身を顧みる言葉として学んでいる。
十日から行われる伊勢神宮の禊会に、野村一門から古澤俊一、志村馨親子が参加する。厳しい寒さの中、川の中での禊である。これも大切な心の勉強である。杉本五郎中佐の『大義』の一節が浮かぶ。汝、我を見んと要せば、尊皇に生きよ、我は尊皇精神のある処常に在り。尊皇の有る処、君常に在り、忠魂永久に皇基を護らん。
夜は、今年転勤する友人と送別の一献。この人と会う時は、いつも雨である。