三月十日(土)曇り後晴れ。
今日は、戦前では陸軍記念日で休日であった。明治三十八年の三月十日、日露戦争の奉天会戦にて日本軍が勝利し、奉天(現在の瀋陽)を占領。そして奉天城に入城したのがこの日であった。米軍は、わざわざ昭和二十年のこの日に合わせて東京を大空襲したのである。
大和田建樹作詞・深沢登代吉作曲で明治三十七年七月に発表されたのが「日本陸軍」である。一番のみ紹介させて頂く。
一、天に代わりて不義を討つ、忠勇無双の我が兵は、歓呼の声に送られて、今ぞ出で立つ父母の国、勝たずば生きて還(かえ)らじと、誓う心の勇ましさ。
昭和十九年に公開されたのが、映画『陸軍』である。監督は、木下惠介で、木下が戦中に撮った四本中、最後の作品。
戦時下(第二次世界大戦)に、陸軍省の依頼で製作されたもの。作品の冒頭に「陸軍省後援 情報局國民映画」という表記がある。太平洋戦争の開戦日からほぼ3周年にあたる日に公開された。『朝日新聞』に連載された火野葦平の同題名の小説を原作に、幕末から日清・日露の両戦争を経て満州事変・上海事変に至る六十年あまりを、ある家族の三代にわたる姿を通して描いた作品である。主演は田中絹代。出征して行く息子を追いかけて行く田中のラストシーが忘れられない。
目黒の雅叙園に「ひな飾り」を見に行った愚妻と上の子供。夕方、学校に行った子供と別れた愚妻と合流。蕎麦屋と中華料理屋とで食事を兼ねて一献。
今日は、戦前では陸軍記念日で休日であった。明治三十八年の三月十日、日露戦争の奉天会戦にて日本軍が勝利し、奉天(現在の瀋陽)を占領。そして奉天城に入城したのがこの日であった。米軍は、わざわざ昭和二十年のこの日に合わせて東京を大空襲したのである。
大和田建樹作詞・深沢登代吉作曲で明治三十七年七月に発表されたのが「日本陸軍」である。一番のみ紹介させて頂く。
一、天に代わりて不義を討つ、忠勇無双の我が兵は、歓呼の声に送られて、今ぞ出で立つ父母の国、勝たずば生きて還(かえ)らじと、誓う心の勇ましさ。
昭和十九年に公開されたのが、映画『陸軍』である。監督は、木下惠介で、木下が戦中に撮った四本中、最後の作品。
戦時下(第二次世界大戦)に、陸軍省の依頼で製作されたもの。作品の冒頭に「陸軍省後援 情報局國民映画」という表記がある。太平洋戦争の開戦日からほぼ3周年にあたる日に公開された。『朝日新聞』に連載された火野葦平の同題名の小説を原作に、幕末から日清・日露の両戦争を経て満州事変・上海事変に至る六十年あまりを、ある家族の三代にわたる姿を通して描いた作品である。主演は田中絹代。出征して行く息子を追いかけて行く田中のラストシーが忘れられない。
目黒の雅叙園に「ひな飾り」を見に行った愚妻と上の子供。夕方、学校に行った子供と別れた愚妻と合流。蕎麦屋と中華料理屋とで食事を兼ねて一献。