白雲去来

蜷川正大の日々是口実

大悲といふ道に大悲の春の雪

2018-03-22 13:29:58 | 日記
三月二十一日(水)名残の雪。

朝の六時過ぎに新聞を取に出たら、霙が降っていた。朝食を済ませてまったりしていると、霙が雪に変わった。昨日は、車にクーラーをかけていたのに今日は、雪か。野村先生の、「大悲といふ道に大悲の春の雪」という句が浮かぶ。大悲とは、「衆生の苦しみを救おうとする仏・菩薩の広大な慈悲の心」である。五・一五事件の三上卓先生の雅号は、大夢と大悲。大夢は岐阜の花房東洋先輩が継いで「大夢館」があり、大悲は、野村先生が継ぎ、大悲会を興した。私は、野村先生に言われて、大悲会の第二代の会長となった。

今日は、私の誕生日である。六十七歳となった。門松ではないが、この歳になれば誕生日も「冥土の旅の一里塚」である。正に、嬉しくもあり、嬉しくも無し。の感あり。早生まれなので、同級生よりも一つ若い。若い頃は、嫌だったが、この歳になれば、一つ若いだけで、何か嬉しい。大日本千鳥足の会の札幌総本部長や、栃木本部長、日本下戸の会(今作りました)の豊橋本部長などからお祝いが届き、恐縮する。

夕方になり、雪が雨に変わった。四時半より、東京のホテルにて「本間吉氏を偲ぶ会」があり出席。新橋の駅にて、盟友のO氏、大熊雄次、松本佳展の両氏と合流して会場へ。懐かしい方々が大勢来ていた。テーブルには、「魔王」「獺祭」の焼酎、「マッカラン」、ワイン、スパーリングワインなどが並ぶ。僭越ながら、私が献杯の音頭を取らせて頂いた。解散後に、近くの居酒屋にて、大熊雄次氏らが、誕生会を催してくれた。久しぶりの大破・轟沈の夜だった。

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両人対酌すれば山花開く。

2018-03-22 13:05:42 | 日記
三月二十日(火)雨。

雨が降ると、花粉が飛ばないのか、少し調子がいい。朝食は、メザシ。見た時はとても美味しそうだったのだが、食べたらがっかり。厚化粧の年増のようだった。みそ汁は、ホタテの稚貝。これは随分前に、小樽の青塚食堂で初めて知ったものだ。愚妻が好きなので、見つけると必ず買うことにしている。昼は、上の子供と、事務所に寄りながら、ベローチェで、ハムサンドとコーヒー。夜は、古い友人が来訪して酔狂亭で一献会。「そごう」で魚を仕入れたが、他の刺身は良かったが、カツオは、良くなかった。

食事をするについて、美味いだろうとあてにしたのか不味かったら「期待外れ」、美味ければ「期待通り」。不味いと承知で行って不味ければ「期待通り」でなくて「案の定」。不味い覚悟で食べてみて美味かった場合、何と言うか。「案外だった」は両様の意味に取れそうだし、「案の外」は馴染まない。一番ふさわしいのは結局「思いの外に」だろうか、そうすると、「期待」と「案」と「思い」とどこがちかうか。よく分らない。とは、阿川弘之先生の『阿呆列車』の書き取り。

お腹が一杯になれば何でも良い。というのは論外だが、「期待通り」の食事がしたい。酒もそうだ。決して高い物でなくとも良い。自分が美味しいと思えばそれで良いのだ。そう思いつつ、今日も、友と酔う。両人対酌すれば山花開く。一杯一杯また一杯。我酔うて眠らんと欲す卿且く去れ。明朝意あらば琴を抱いて来たれ。と九時過ぎに解散。

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