三月二十八日(水)晴れ。
季節に、そわそわしなくなってから久しい。この時期だと、天気によって花見の段取りをするのが難しい。予定していた土、日まで桜が待っていてくれるだろうか。天気に一喜一憂し、自宅の近くの桜を見ると、なぜか、そわそわした。若い頃は、夏になると、やはり、そわそわした。海に行くのが待ち遠しくて、落ち着かない日を過ごした。たまにの雪が降れば、この景色を逃さず飲める店が無いものかと、そわそわした。随分前の話である。
今年は、桜の咲くのが早い。この十年以上も自宅から比較的に近い大岡川の川沿いの桜を愛でつつ、家族で定点写真を撮っているが、三月に写真を撮ったのは、一度しかない。稀に、「桜なんかに興味がない」と言う人がいる。正直言って、気障、それともへそ曲がりなのかと思ってしまう。日本人と桜・・・。満開となれば喜び、葉桜となれば、哀れさに涙を誘う。インテリを気取った者が、演歌を低く見るのと、似ているような気がする。
しばらく花見をしていない。五、六年前のことだが、盟友と京都に行った時、芸妓さんに鉄板焼きのお店を紹介して頂いた。カウンターに座れば、正面のガラス窓いっぱいに満開の桜が見えた。まるで額縁に入っているような感じがして、しばし見とれた。歳を取ると、そういった間接的な花見も良いものと、しみじみ思った。
夕方、申しわけないと思ったが、近くの公園に咲いている桜の小枝を折って、食卓に飾った。酔狂亭でプチ観桜会だ。若くして亡くなられた、元楯の会の阿部勉さんの歌に、「盃に浮かぶ花弁の十重二十重わがあやまちの数に似ており」。というものがある。「アベちゃん。良く分かるよ」と亡き友に相槌を打ちつつ、今日も杯中の酒に溺れる。
季節に、そわそわしなくなってから久しい。この時期だと、天気によって花見の段取りをするのが難しい。予定していた土、日まで桜が待っていてくれるだろうか。天気に一喜一憂し、自宅の近くの桜を見ると、なぜか、そわそわした。若い頃は、夏になると、やはり、そわそわした。海に行くのが待ち遠しくて、落ち着かない日を過ごした。たまにの雪が降れば、この景色を逃さず飲める店が無いものかと、そわそわした。随分前の話である。
今年は、桜の咲くのが早い。この十年以上も自宅から比較的に近い大岡川の川沿いの桜を愛でつつ、家族で定点写真を撮っているが、三月に写真を撮ったのは、一度しかない。稀に、「桜なんかに興味がない」と言う人がいる。正直言って、気障、それともへそ曲がりなのかと思ってしまう。日本人と桜・・・。満開となれば喜び、葉桜となれば、哀れさに涙を誘う。インテリを気取った者が、演歌を低く見るのと、似ているような気がする。
しばらく花見をしていない。五、六年前のことだが、盟友と京都に行った時、芸妓さんに鉄板焼きのお店を紹介して頂いた。カウンターに座れば、正面のガラス窓いっぱいに満開の桜が見えた。まるで額縁に入っているような感じがして、しばし見とれた。歳を取ると、そういった間接的な花見も良いものと、しみじみ思った。
夕方、申しわけないと思ったが、近くの公園に咲いている桜の小枝を折って、食卓に飾った。酔狂亭でプチ観桜会だ。若くして亡くなられた、元楯の会の阿部勉さんの歌に、「盃に浮かぶ花弁の十重二十重わがあやまちの数に似ており」。というものがある。「アベちゃん。良く分かるよ」と亡き友に相槌を打ちつつ、今日も杯中の酒に溺れる。