白雲去来

蜷川正大の日々是口実

数知れぬ過失は酒とともにあり。

2019-01-17 11:02:35 | 日記
一月十六日(水)晴れ後曇り。

七時の目覚ましを止めて、九時まで寝ていた。当然の二日酔い。昨夜の紅灯緑酒での杯盤狼藉が甦って来て、道の兄と慕った、元楯の会の故阿部勉さんの歌、「数知れぬ過失は酒とともにありその酒抱きてけふも堕ちなん」が浮かんだ。

昼過ぎまで、そのまま寝ていて酒を抜こうかと思ったら、午前中に歯医者の予約をしていた。うげぇーっと起きて、ヘロヘロになって歯医者へ。ふと、昨日の二次会の会費を払っていなかったのでは、と不安になり、財布を見るとお金が減っていない。友人に連絡して、スマン、スマンのオスマントルコ。その友人氏から、昨夜、昭和五十年に河出書房新社から発売された『文芸読本・三島由紀夫』を古書店で見つけ、それを私にプレゼントして頂いた。頂いた本はしっかり持って来ているのに、お金を支払うのは忘れる。酒飲みとは、都合の良い飲み方をするものだ。

その友人氏と、関内駅近くの、うどん屋さん「おおぎ」にて昼食を共にする。朝食を取らなかったので、煮込みうどんがとても美味しかった。忘れてた会費を届けても、昼食をご馳走になっては話にならん。いつもお世話になっている友人氏に感謝である。食後に事務所へ。夕方帰宅してから、夕食まで読書。頂いた『文芸読本・三島由紀夫』の中の高橋和己が寄せた「自殺の形而上学」を、読んだが難しかった。

夜は、おとなしく酔狂亭で、缶ビール二本でやめた。酒とのズブズブの関係をやめられん。

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カワウソの祭りで酔った。

2019-01-17 10:44:31 | 日記
一月十五日(火)曇り。

日本酒好きの人には釈迦に説法だろうが「獺祭」とは、カワウソ(獺)が、捕らえた魚を供物に並べ先祖を祭る様を指す。 カワウソは捕らえた魚を川岸に並べる習性があり、これを祭儀になぞらえた。 転じて多くの書物を調べ、引用する人の様を指す。また、中国は唐の時代の詩人が、文章を書く際に、多数の書物を、作業場所の周囲に置いて参照していることを、自ら「獺祭魚」と称していたため、「獺祭」には、詩文を作るとき、多くの参考書を周囲に広げておくという意味もある。

夜は、仲良しさんたちの飲み会を馬車道にある、湘南の魚を提供する名店にて開催した。十名が出席。その折に、オーナーが「新年のご挨拶」と言って「獺祭」の一升瓶を差し入れして頂いた。日本酒を飲むのは久しぶりである。なぜか、それは日本酒の糖分を警戒しているからである。メインを焼酎に換えてから久しい。しかし、その「獺祭」まるで上等な白ワインのようで、とても美味しかった。お刺身や和食に白ワインが合うように、この「獺祭」も当然ながら、とてもいい。皆で、一升びんをペロッと空けて、有志にて狭斜の巷(きょうしゃのちまた=調べてみてね)に繰り出した。

傾城と傾国(けいせいとけいこく=調べてみてね)を相手に、二時間ほど。韓国の無礼なレーダー照射や諸々の政治諸問題を忘れて、久しぶりの大破・轟沈の夜。古人曰く、親の意見と冷酒は後で効く。を忘れていた。※写真は、野村先生の生誕祭のお知らせです。どなたでも参加できます。お問い合わせは090-6300-7075・二十一世紀書院まで。

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