八月二日(金)晴れ。
朝、会社に行く上の子共を玄関で見送る時、今日は、朝顔がどのくらい咲いているのかと目をやる。今朝は、大きめな水色や薄紅の朝顔が朝の日に映えていた。この朝顔の鉢は、群青の会の大熊雄次氏が毎年入谷の朝顔市のものを送ってくれる。バス停に向かう子供が、家の角で玄関にいる私に手を振る。野村先生の「競ひ咲くどの朝顔も機嫌よし」の句の似合う朝だ。
実は、朝顔には忘れられない思い出がある。盟友でもあり、同志でもあった折本満さんが、今から三年前の九月にすい臓癌で亡くなられた。六十四歳だった。折本さんが、すい臓がんを患って入院手術した折に幾度か彼を見舞い、退院した時は、友人らと「激励会」を行い、何とか元気な体に戻ってほしいと願ったが、薬石の効なく、亡くなった。奥さんから、「余命二三ヶ月」ということを聞いた時は、ショックだった。最後に大熊雄次氏と一緒に、自宅に彼を見舞ったのは、亡くなられる一月ほど前の八月四日のこと。すっかり痩せてしまい、一回りも小さくなった姿を見て、不覚にも落涙しそうになった。
折本さんの寝ているベッドから見えるベランダに、やはり大熊氏が送った朝顔の鉢植えが置いてあった。奥さんが、折本が、毎朝目を覚ますと、「ああ今日は沢山咲いている。昨日は、一つだけだった」と、いつも楽しみに見ています。と話をした時に、彼の手を握って、声を上げて泣きたかった。このお見舞いから一月余りが過ぎた九月の二十日の正午過ぎに、折本さんの奥さんより電話が入り、午前中に折本さんが家族に見守られながら、眠るように息を引き取ったと、連絡を頂いた。折本さんは、亡くなられた日の朝も朝顔を見たのだろうか・・・。いつの日か、会津の地に眠る折本さんに会いに行かねばと思っている。
今日は、午前中に、掛りつけの医者で定期検診。終了後は歯医者へ。事務所に寄って郵便物の確認をしてから帰宅。夜は酔狂亭にて独酌。お供は「黒霧島」。
朝、会社に行く上の子共を玄関で見送る時、今日は、朝顔がどのくらい咲いているのかと目をやる。今朝は、大きめな水色や薄紅の朝顔が朝の日に映えていた。この朝顔の鉢は、群青の会の大熊雄次氏が毎年入谷の朝顔市のものを送ってくれる。バス停に向かう子供が、家の角で玄関にいる私に手を振る。野村先生の「競ひ咲くどの朝顔も機嫌よし」の句の似合う朝だ。
実は、朝顔には忘れられない思い出がある。盟友でもあり、同志でもあった折本満さんが、今から三年前の九月にすい臓癌で亡くなられた。六十四歳だった。折本さんが、すい臓がんを患って入院手術した折に幾度か彼を見舞い、退院した時は、友人らと「激励会」を行い、何とか元気な体に戻ってほしいと願ったが、薬石の効なく、亡くなった。奥さんから、「余命二三ヶ月」ということを聞いた時は、ショックだった。最後に大熊雄次氏と一緒に、自宅に彼を見舞ったのは、亡くなられる一月ほど前の八月四日のこと。すっかり痩せてしまい、一回りも小さくなった姿を見て、不覚にも落涙しそうになった。
折本さんの寝ているベッドから見えるベランダに、やはり大熊氏が送った朝顔の鉢植えが置いてあった。奥さんが、折本が、毎朝目を覚ますと、「ああ今日は沢山咲いている。昨日は、一つだけだった」と、いつも楽しみに見ています。と話をした時に、彼の手を握って、声を上げて泣きたかった。このお見舞いから一月余りが過ぎた九月の二十日の正午過ぎに、折本さんの奥さんより電話が入り、午前中に折本さんが家族に見守られながら、眠るように息を引き取ったと、連絡を頂いた。折本さんは、亡くなられた日の朝も朝顔を見たのだろうか・・・。いつの日か、会津の地に眠る折本さんに会いに行かねばと思っている。
今日は、午前中に、掛りつけの医者で定期検診。終了後は歯医者へ。事務所に寄って郵便物の確認をしてから帰宅。夜は酔狂亭にて独酌。お供は「黒霧島」。