白雲去来

蜷川正大の日々是口実

奇人・怪人の極意。

2019-08-19 14:35:02 | 日記
八月十二日(月)雨後晴れ。

何やら、昨日が「山の日」とか言う休日だったために、今日は振替休日とのこと。何が「山の日」だよ。意味分かんネェー。じゃあ「川の日」も作ったらいいのに。「海の日」は明治陛下に縁の意味深い日だが、「山の日」って何だ。休みが多くて喜ぶのは子供だけではないか。先進国と言ったって、非正規の社員や建築現場の労働者の多くは日給月給である。休みが多ければそれだけ収入が減る。まあ浪人の身の私が悲憤慷慨して余り説得力がありませんけれど。

社友の島田不二雄さんのFBで、『人生で大切なことは泥酔に学んだ』という本を紹介されていた。私も以前、書評で読んで是非読みたいと思っている本だが、私も、随分前にある雑誌に『憂国奇人・怪人伝』というものを十回ほど連載したことがある。人生で大切なことを酔っぱらいに学んだことはないが、奇人には「五つの極意」がある。と教えてくれたのは、私の道の兄であり、三島由紀夫が創設した「楯の会」の会員であった故阿部勉氏である。「五つの極意」とは、すなわち、酒乱、淫乱、錯乱、風乱、貧乱のことで、酒、淫、錯、の三つの「乱」は読んで字の如しだが、残りの「風乱」、「貧乱」の二つを加えてこそ、奇人、怪人の極意と阿部氏は語った。

「風乱」とは、一歩家を出ると、何時帰ってくるか分からない人をいう。四、五日など当たり前で、時には二年も三年も行方が分からず、突然帰ってきたと思えば、ほかの女に生ませた子供を抱えている。旦那が逮捕されると奥方は、心配するより先に「居所がはっきりして良い」と喜ぶそうだ。

「貧乱」とは、そのまま「貧しく乱れる」ことである。右翼の活動家は、その昔から天下の素浪人をもって任ずる者であるから、とにかく年中金がない。しかし酔えば美人の膝枕、醒めては握る天下の権と、酒は飲む。それでも勉強は欠かさない。酒を飲もうか、本を買おうかと迷った揚げ句に、やはり本を買って酒をあきらめることも、しばしばある。生活費がなくとも本を買う。借金しても本を買う。どうしても金がないときは、先輩の家を訪ねて、なるべく希少価値のありそうな難しい本をかしこまって借りて、そのまま古本屋に売って酒代とする。先輩から、貸した本を催促されても「難しいのでもう少し」と引き伸ばせば、その内、先輩も、そんな本のことなど忘れてしまう。ただ貧しいだけで、酒ばかりのみ勉強をしないものは「貧乱」の資格はないと、阿部勉氏は言っていた。

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本の断捨離が出来ない。

2019-08-19 14:12:27 | 日記
八月十一日(日)晴れ。

全く、少し前まではクーラーを一日中つけっぱなしなんてことはなかった。我が家は、家の前にあった鉄工所がつぶれて住宅が出来る前までは風通しが良く、ほとんどクーラーを使用しなかった。それがくしゃみをすれば聞こえてしまうような距離に戸建が沢山出来てから陽当たりも風通しも悪くなった。家族は、一二時間の外出ならば、クーラーを入れたままの方が電気代が安い。と言うのだが、貧乏性の私としては、誰もいない家にクーラーをつけっぱなしにしておくのは、もったいないと思い、必ず止めて出かける。悲しい昭和の男の性なんですかねぇー。

今日も暑い。九時にノコノコ起きて朝食。アコウダイの粕漬、ナスと豚肉とキムチ炒め、あさりの味噌汁。昼は、小さなおにぎり一つ。夜は、豚肉とキムチ炒め、玉ねぎのオイスターソース炒め、残念なカツオを肴に酔狂亭にて月と影とを相手に独酌。

自宅のパソコンの机の横に、空き箱を置いて、読了した本を入れてある。ある程度まとまると事務所に持って行くのだが、もう書棚に入れる余裕がない。思い切って、何の資料にもならない本を断捨離しようかと思うのが、中々踏ん切りがつかない。一度、百冊ほどを小分けにしてひもで縛って処分しようとした。しかし、何か後ろめたい。その中の本から「知識」を与えて貰って、原稿にしたこともあるだろう。邪険に捨てたりしても良いのか、と迷って、結局、スマン、スマンと謝って紐をほどいた。

新聞や雑誌の書評を切り抜いて、「いつか買おう」と思っている本もかなりある。そのうちに臨時の収入があったならば、まとめて注文したいと思っている。

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