白雲去来

蜷川正大の日々是口実

ラーメンの人情話。

2019-08-20 15:23:30 | 日記
八月十四日(水)晴れ。

ラーメンが好きだが、最近はほとんど食べなくなった。FBFで千葉在住のTさんと言う人が、毎日のように、昼食の写真をアップしているのだが、そのほとんどが様々な店のラーメンである。当然ながら体を動かす仕事なのでカロリーの過多とはならないのだろう。やはりFBFの桑野繁樹さんも時折、ラーメンの名店を訪れた折の写真をアップしている。それらの写真を見ていると、無性に食べたくなるが、自制しているのは、塩分とカロリーを考えてのことである。

ラーメンと言えば、椎名誠が選した『麺と日本人』(角川文庫)という本の中で知ったとても良い話がある。矢野誠一さんの「ラーメン」という一文に、落語家で、喜劇俳優でもあった柳家金語楼は、有崎勉というペンネームで、新作落語を書いていた。その数、五百とも千とも言われている。金語楼が昭和四〇年に古今亭今輔に与えた『ラーメン屋』という話は、矢野氏いわく、その中でも「代表作とよぶにふさわしい格調をそなえている」。

子供のいない老夫婦の出している屋台のラーメン屋に、若いおとこがやってくる。何杯もおかわりしたうえで、金がないので無銭飲食で交番に突き出してくれとたのむ。夫婦は、その男を家に連れていって、屋台を押させた手間賃を与えたうえ、一回に百円出しては、その若い男に、「お父っつあん」「おっかさん」とよばせる。
「・・・ばあさん、今夜は楽しかったな」
「あの、代金は返しますから、こんどは私のたのみもきいてください」
「へえ、あなたのたのみって?」
「・・せがれ・・と、呼んでください」

という人情話である。一度、生で聞いてみたいものだ。

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東洋のルソーの酒癖。

2019-08-20 13:14:15 | 日記
八月十三日(火)晴れ。

五時半に起床。こんな早朝でもクーラーが必要なくらい暑い。上の子供と一緒に朝食。清風楼の焼売、肩ロースハム、トロロコブスープ。朝食が好きだが、今日のようにあまり早く食べてしまうと、昼頃にお腹が空いて、ついがつちり食べてしまうので、これが難点である。昼は、お茶漬け。夜は、牛丼、チキンステーキ、キムチ。お供は「黒霧島」。

昨日のブログで「奇人・怪人」にふれたが、東洋のルソーといわれ、明治を代表する思想家の中江兆民は、五十五歳の時に喉頭癌になり、医者から余命を一年半から二年と宣告された。癌の進行は早く、呼吸もできないくらいの苦痛に苛まれたが、その病魔と闘いながら兆民は、著書『一年有半』を著した。その兆民は、少々酒癖が悪く、酔ったうえでの数々の奇行で知られており、『中江兆民奇行談』(岩崎徂堂著)という本まで出版されている。

その本によれば、兆民が役人だった頃、華族令嬢と結婚することになった。花嫁が輿入れする頃にはすっかり酔っぱらってしまい、フンドシをとって素裸になり友人らと酒宴を続けていた。花嫁が到着すると、彼女に向かって、「今は冬なのに、オレは一文無しで、花嫁にやるものがない。ただ一つ、ここにキンタマ火鉢があるから、これをやろう」とイチモツを手に持った。花嫁が真っ赤になり、目を白黒させていると、友人の一人が、「火の気のない火鉢では仕方あるまい、これを置いて花嫁にごちそうしろ」と真っ赤に焼けた炭火をキンタマに乗せたからたまらない。大騒ぎとなった。当然、縁談は破談になった。

懲りない兆民は、宴会で芸者に悪ふざけして、キンタマの袋を大きく広げて、杯のようにして酒を飲ませて遊んだ。芸者もさる者で、「お返しを」と言って、熱燗の日本酒を兆民のキンタマ杯に返杯したからたまらない。兆民は、アチチチと、天井まで飛び上がった。

人様に見せられるほどのものを持っているだけで羨ましい。

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