白雲去来

蜷川正大の日々是口実

スワニー河

2019-08-21 14:31:37 | 日記
八月十六日(金)曇り後晴れ。

朝起きると、寝間着代わりにしているTシャツの首回りが汗でぐっしょりである。とりあえず着替えをして朝食。鮭フライ、コロッケ、キャベツの千切りにとろろこぶのスープ。先日見たテレビで、トロロコブは、肝臓?内の塩分を排出する効果がある、とやっていた。もともと好物なので、なるべく毎日取るようにしている。昼は、清風楼の焼売、。朝の残りのコロッケ、小チキンラーメン。夜は、焼きそば、餃子、エビチリ、お供は「三岳」。

以前、このブログに「泣ける歌」があることを書いた。信州大学のかつての寮歌「春寂寥」と、木村美保の歌う「白線流し」であるが、私にとって「泣ける歌」はまだ何曲かある。思い出と重なる歌が多いが、その代表的な物に「スワニー河」(故郷の人々)がある。この歌を聞くと、小学校の校舎から見た、暮れなずむ空の彼方に浮かぶ富士山を思い出す。もちろんその富士山にダブって、教室のざわめきや、同級生のことなどを。

私が通った横浜市立太田小学校は、東條さんたちを荼毘に付した久保山火葬場に続く道沿いにあり、三春台という丘の上にあった。私の家からは旧坂というかなり急な坂道を登って行った。右に関東学院、その斜め前に小学校があった。坂を上りきって、登って来た道を振り返ると、埋め立てする前の根岸の海が見えた。晴れた日には、教室から富士山が見え近くの山の木々が季節ごとに色鮮やかに、目を楽しませてくれた。「スワニー河」を聞くと、その頃のことが、一度に眼前に甦って来るのだ。さらに、これまでの自身の来し方に忸怩たる思いが重なり、涙腺がゆるむ。セピア色になった入学式の写真がある。昭和三十三年のこと。そこに写る人たちの消息を一人も知らない。※私は左側の一番上に居ます。

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いつか香らん 靖国の華

2019-08-21 13:49:35 | 日記
八月十五日(木)晴れ、一時雨。終戦の日。

終戦の日、玄関にて皇居遥拝。大東亜戦争にて散華した皇軍将兵のことを思う。野村先生は、自決に際して同志らに宛てた「檄文」、「天の怒りか、地の声」の末尾にこう書いた。「ちなみに、神風特攻機は二千八百四十三機飛び立ち、二百四十四機が敵艦に突入したと記録にある。英霊よ、安らかに眠れ。いつの日か必ず有色人種である日本人が、白色人種と三年半にわたって死闘を展開した、真なる意味が何であったのかは、後世の史家が明らかにしてくれるであろう」。と。そして辞世の歌として、

  さだめなき世なりと知るも草莽の 一筋の道 かはることなし

十時過ぎに保土ヶ谷駅に向かい東京行き。十一時に東京駅にて松本佳展君、紗枝ちゃん、砂川桂君らと待ち合わせて靖国神社へ。途中、雨が落ちてきた。英霊の涙かもしれない。靖国神社にて多くの同志と会い、正午に、全員で黙祷。終戦の年の今日も、このような猛暑であったのだろうか。この日に靖国神社を詣でることに賛否はあるのだろうが、しかし私は、七十四年前の今日、当時の日本の国民が等しく感じた敗北感と喪失感・・・。その先人の思いを追体験するには靖国神社が一番ふさわしいと思っている。

   国敗れ 乱るる御代と なりしとも いつか香らん 靖国の華

靖国神社を後にして、大熊雄次氏の案内で御徒町の吉池にて直会。その後新東洋に転戦。

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