白雲去来

蜷川正大の日々是口実

野村先生の「俳句求道」。

2020-08-09 17:59:51 | 日記
7月27日(月)曇り。

朝食は、大好きな「笹カレイの干物」、キュウリの糠漬け、とろろこぶのスープ。昼は、焼きそば、おにぎり一つ。夜は、月に一度の仲良しさんたちとの食事会。場所は関内のHIRO。珍しく一軒のみにて帰宅。

事務所の保管庫を整理していたら、千葉刑務所に下獄中の野村先生が昭和44年の夏に、『俳句求道』と題して日々書いていた日記が出てきた。先生が亡くなられてから、千葉時代の日記を『獄中日記・千葉編』として出版した。内容は、昭和41年、42年、46年、47年、48年、49年、50年の日記の一部である。なぜ「一部」なのと言えば、先生がその他の日記をあえて処分してしまったからに他ならない。後日、活字になるということを意識して書いたものではないので、人に読ませたくないものもあったのだろう。「読ませても差し支えないものだけを私に託したのだと思う。

なぜ昭和44年の8月、9月の「俳句求道」と題したノートを、以前出版した『獄中日記』に入れなかったのか。それは、「日記」ではなく単なる「雑記帳」と私か勘違いしたからに他ならない。昭和44年と言えば、三島・森田両烈士が自決なされる一年前である。その「俳句求道」のなかに書かれていた、大日本愛国党の故赤尾敏総裁の奥様に宛てた手紙の下書きに、千葉刑務所を出獄した二年後の「経団連事件」に際に書かれた「檄文」の精神が如実に描かれている。『燃えよ祖国』に掲載するつもりでいる。

癖字で難解で起こすのが大変だが、「獄中俳句日記」として連載を開始したいと思っている。自身の腸の腐り止めとしても。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする