8月15日(土)晴れ。終戦の日。
昨日、松本佳展君らと横浜で一献会を行った、静岡在住の大陸浪人(と言っても今は海の仕事をしているが)杉山君と九時半に中華街で待ち合わせて安記にて朝食の会。中華街も少し活気が戻ってきたのだろうか、昼前にはお店が満席となった。いつものように、「モツ皿」、「焼売」を今日は車なのでノンアルビールでつまんでから出来立ての中国の揚げパン「油条」と一緒に「モツ粥」を食す。チーフコックのお兄さんが顔を出して「今日はノンアルですか」と驚いていた。食後、杉山君と別れて、愚妻と中華街をブラリ、ブラリ。馴染みの店に寄って10月の群青忌のことなどを相談してから帰宅。
今日は終戦の日。毎年、靖国神社に詣でていたが、今年は、コロナや歳を考えて炎天下の下で何時間も立っている自信がなく、自宅で黙とうした。
終戦から75年。ふと戦没者の追悼をいつまで続けるのだろうか。という思いがよぎる。ご遺族も高齢となり、後10年もすれば戦没者を直接知る「遺族」がほとんどいなくなってしまう。もちろんお孫さんや、ひ孫も「遺族」という考えがあるだろうが、きりがない。その人たちを集めて追悼集会を行うとすれば、日清、日露の戦没者の遺族はどうなる、と言われても仕方がない。
また、私も含めて「戦後75年」という言葉を使うが、果たしていつまで「戦後」なのだろうか。35年後(当然私はいないが)、「今日は、戦後110年です」などと言っているのだろうか。決して、忘れてはいけない日ではあるが、将来、漠然と「戦後」などと言っても、何のことか分からない世代がきっと出てくる。信じられないが、日本がアメリカと戦争をしたことを知らない若い人がいるという。
国が、大東亜戦争はもとより、日清、日露戦争を記憶する記念日を制定し、国民が英霊に感謝と追悼の誠を捧げることを教えなければならないと思う。
昨日、松本佳展君らと横浜で一献会を行った、静岡在住の大陸浪人(と言っても今は海の仕事をしているが)杉山君と九時半に中華街で待ち合わせて安記にて朝食の会。中華街も少し活気が戻ってきたのだろうか、昼前にはお店が満席となった。いつものように、「モツ皿」、「焼売」を今日は車なのでノンアルビールでつまんでから出来立ての中国の揚げパン「油条」と一緒に「モツ粥」を食す。チーフコックのお兄さんが顔を出して「今日はノンアルですか」と驚いていた。食後、杉山君と別れて、愚妻と中華街をブラリ、ブラリ。馴染みの店に寄って10月の群青忌のことなどを相談してから帰宅。
今日は終戦の日。毎年、靖国神社に詣でていたが、今年は、コロナや歳を考えて炎天下の下で何時間も立っている自信がなく、自宅で黙とうした。
終戦から75年。ふと戦没者の追悼をいつまで続けるのだろうか。という思いがよぎる。ご遺族も高齢となり、後10年もすれば戦没者を直接知る「遺族」がほとんどいなくなってしまう。もちろんお孫さんや、ひ孫も「遺族」という考えがあるだろうが、きりがない。その人たちを集めて追悼集会を行うとすれば、日清、日露の戦没者の遺族はどうなる、と言われても仕方がない。
また、私も含めて「戦後75年」という言葉を使うが、果たしていつまで「戦後」なのだろうか。35年後(当然私はいないが)、「今日は、戦後110年です」などと言っているのだろうか。決して、忘れてはいけない日ではあるが、将来、漠然と「戦後」などと言っても、何のことか分からない世代がきっと出てくる。信じられないが、日本がアメリカと戦争をしたことを知らない若い人がいるという。
国が、大東亜戦争はもとより、日清、日露戦争を記憶する記念日を制定し、国民が英霊に感謝と追悼の誠を捧げることを教えなければならないと思う。