白雲去来

蜷川正大の日々是口実

終戦の日、果たして、いつまで「戦後」なのか。

2020-08-25 12:18:40 | 日記
8月15日(土)晴れ。終戦の日。

昨日、松本佳展君らと横浜で一献会を行った、静岡在住の大陸浪人(と言っても今は海の仕事をしているが)杉山君と九時半に中華街で待ち合わせて安記にて朝食の会。中華街も少し活気が戻ってきたのだろうか、昼前にはお店が満席となった。いつものように、「モツ皿」、「焼売」を今日は車なのでノンアルビールでつまんでから出来立ての中国の揚げパン「油条」と一緒に「モツ粥」を食す。チーフコックのお兄さんが顔を出して「今日はノンアルですか」と驚いていた。食後、杉山君と別れて、愚妻と中華街をブラリ、ブラリ。馴染みの店に寄って10月の群青忌のことなどを相談してから帰宅。

今日は終戦の日。毎年、靖国神社に詣でていたが、今年は、コロナや歳を考えて炎天下の下で何時間も立っている自信がなく、自宅で黙とうした。

終戦から75年。ふと戦没者の追悼をいつまで続けるのだろうか。という思いがよぎる。ご遺族も高齢となり、後10年もすれば戦没者を直接知る「遺族」がほとんどいなくなってしまう。もちろんお孫さんや、ひ孫も「遺族」という考えがあるだろうが、きりがない。その人たちを集めて追悼集会を行うとすれば、日清、日露の戦没者の遺族はどうなる、と言われても仕方がない。

また、私も含めて「戦後75年」という言葉を使うが、果たしていつまで「戦後」なのだろうか。35年後(当然私はいないが)、「今日は、戦後110年です」などと言っているのだろうか。決して、忘れてはいけない日ではあるが、将来、漠然と「戦後」などと言っても、何のことか分からない世代がきっと出てくる。信じられないが、日本がアメリカと戦争をしたことを知らない若い人がいるという。

国が、大東亜戦争はもとより、日清、日露戦争を記憶する記念日を制定し、国民が英霊に感謝と追悼の誠を捧げることを教えなければならないと思う。

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サンマが鯛やヒラメよりも高い。

2020-08-25 11:50:38 | 日記
8月14日(金)晴れ。

暑くて、食欲がなく朝食を抜いた。昼は、最近凝っているニュータッチの「ネギラーメン」とキムチ。夜は、事務所の帰りに寄った、横浜橋商店街で買った「牛筋」とデリカ何とかの焼き鳥。お供は、「赤霧島」。おとなしく酔狂亭にて独酌。

上の子供が、暮れのボーナスで買ってくれた「ティファール」の電気圧力鍋。安全かつ便利なのだが、肉などの具材が一キロしか入らない。量が多いと二度に分けて入れなくてはならないのが、ちょっと残念だが、まあそこそこ便利である。昨日(24日)のニュースで、サンマが今年も不漁で、サンマ漁の主力である棒受け網漁初水揚げが、昨年の2パーセント程度しかなく、初競りでは、Ⅰキロ、1万1880円にもなったという。サンマが鯛やヒラメよりも高級魚となったわけだ。以下は4年前の9月13日の私のブログです。

「そごう」の地下で、キレッキレの刺し身包丁のようなサンマが三匹で九八〇円。まあハシリだから仕方がない。頭を落として内臓を捨てて(私を始め子供たちも苦いのがニガテなので)塩をふって焼く。グリルからサンマを焼く煙がぼうぼう上がっている。脂がのっている証拠だ。秋刀魚皿に大根おろしを添えて、食するが、我が家の家族は皆秋刀魚をきれいに食べる。小さい頃から私が「食べ方が汚いと、お里が知れるよ」とうるさく言っていたおかげである。ダイコンおろしにかけた醤油とすだちと塩味とがサンマに染みて、絶妙な味を出す。ふふふとなる瞬間である。

最近は、台湾や中国の人たちが好んでサンマを食べるようになり、がさーっと乱獲してしまい。そのせいもあって日本の漁獲量が年々少なくなっているそうだ。自分たちは食べるが、お前たちは食べるな。などとは言えず、困ったものだ。きちんとしたルールを国際間で決めないと、そのうちサンマが幻の魚、などと言われるかもしれない。しかし、サンマが高いと言ったって、デパ地下でさえ、たかが二、三百円のこと。サンマだって体がかかってんだから、あんまり安くては申し訳ないと言うものだ。また漁師さんたちの苦労を考えたら、三百円が高い何て言わない方がいい。さあーて。来月になったら果たしてサンマが食べられるだろうか。


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