白雲去来

蜷川正大の日々是口実

恒産なければ因って、恒心なし。

2021-01-07 16:09:40 | 日記

1月6日(水)曇り。

明日から、一都三県に緊急事態宣言が発出されるとのこと。飲食を提供する店などは夜の八時までの時短営業を要請されるらしい。いわゆる「飲み屋」の営業を夜八時まで、と制限するのは、事実上「閉めなさい」と言っているのと同じだ。なぜ「閉めろ」と言わないのか。それは、そんなことを言えば、4万や6万円ぐらいの補償では済まないからであろう。

大変な時代になったものだ。それでなくとも一月、二月は客商売は暇である。ホステスさんを使う店や、大箱の店はたまらないだろうな、と他人事ながら心配になる。特に、今回の補償はお店に対してであり、ホステスさんなど日給月給の人たちに対しては何の保証もないのだ。囲いの女でもいたならば、無理をしてでも多少のことはしてあげなければならないのだろうが、生憎、そんな遊びはとうの昔に卒業したし、最も、してあげたくとも。しがない浪人風情では、そんな力もない。

恒産なければ因って、恒心なし。とは「孟子」の言葉である。「恒産」とは、生活を支えるに足りるだけの安定した収入、資産。「恒心」とは、どんなに困っても悪には走らない心。守屋洋氏の『中国古典・一日一言』によれば、「恒産などなくても恒心を持ち続けるのが理想である。だがそれは志操堅固な人物にして初めて可能なことだ。一般の人々にそれを期待しても無理である。だから一般の人々に対しては、何をおいてもまず生活の安定をはかってやらなければならない。それが為政者のつとめであると『孟子』は主張した。とある。一日も早くコロナ禍が終息してもらいたいものだ。

 


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