1月20日(水)晴れ。
武田鉄矢の司会の「昭和は輝いていた」というBSテレ東の番組が好きで録画しながら同時進行で見ている。もちろん全てが私の興味のあるものではないが、それでも「昭和歌謡」はほとんどの歌を口ずさむことができる。日付は忘れてたが「ザ・ピーナツ」の特集がとても良かった。確かBSのTBSでも三時間特集をやったが、かなりかぶる所もあったが、これも私の永久保存版。
それでも「ザ・ピーナツ」が「可愛い花」や「情熱の花」を歌って最初の人気を博したのは昭和34年(1959)で、そのころ私はまだ小学生だった。家にテレビもなく、もっぱらラジオで流れる彼女たちの歌を聞いていた。といっても意識して聞いていたのではなく、聞こえていた、という方が正しいのかもしれなぃ。
彼女たちを代表するヒット曲である「恋のバカンス」が発表されたのは、私が中学一年生の時。初めて女性を意識した歳、いわゆる思春期の頃と重なるので、今でも、いつも遠くから見ていた一級上の水泳部にいたI・Nさんのことを思い出すことがある。中学の三年生頃からビートルズやヤードバーズといった洋楽に興味を持ち、ほとんど歌謡曲や日本のポップスを聞かなくなった。10代の後半頃は自分の人生の中で一番、洋楽を聞いていたかもしれない。ジャズ、R&B、BBキングやジョン・メイオールなどのブルースに没頭していた。
そういった趣味が一変したのは、昭和45年(1970)11月25日に起きた、いわゆる三島由紀夫・森田必勝両烈士の自決事件によってである。もっと柔軟な考えを持てば良かったが、当時は、自分の中の「洋風」を否定することが自分を変えることだと、今から思えば浅はかな考えを持った。
演歌や昭和歌謡をしみじみ聞くようになったのは60歳を過ぎた頃からか。最近は、とみに青春時代に流行った歌や曲に魅せられている。「昭和は輝いていた」の番組のCMで「大人のムード歌謡」とか「ポップス黄金時代」といったCDが紹介される。酔っていると、それらの曲の中に過去が重なり、思わず注文しようかと思うが、家族から「また酔っぱらって買ったの」と言われたくないので、家庭円満のために鉄の意思でスルーしている。先がないゆえに、過去を懐かしんだって誰にも文句は言わせない。(言うやつもいませんが)
夜は、おとなしく酔狂亭にて月と影とで三人となり独酌。お供は「黒霧島」。肴は、鳥の手羽蒸し、サバの竜田揚げ、千枚漬け。酒だけは避けられない。