白雲去来

蜷川正大の日々是口実

懐メロは酒の肴になる。

2021-01-21 11:26:21 | 日記

1月20日(水)晴れ。

武田鉄矢の司会の「昭和は輝いていた」というBSテレ東の番組が好きで録画しながら同時進行で見ている。もちろん全てが私の興味のあるものではないが、それでも「昭和歌謡」はほとんどの歌を口ずさむことができる。日付は忘れてたが「ザ・ピーナツ」の特集がとても良かった。確かBSのTBSでも三時間特集をやったが、かなりかぶる所もあったが、これも私の永久保存版。

それでも「ザ・ピーナツ」が「可愛い花」や「情熱の花」を歌って最初の人気を博したのは昭和34年(1959)で、そのころ私はまだ小学生だった。家にテレビもなく、もっぱらラジオで流れる彼女たちの歌を聞いていた。といっても意識して聞いていたのではなく、聞こえていた、という方が正しいのかもしれなぃ。

彼女たちを代表するヒット曲である「恋のバカンス」が発表されたのは、私が中学一年生の時。初めて女性を意識した歳、いわゆる思春期の頃と重なるので、今でも、いつも遠くから見ていた一級上の水泳部にいたI・Nさんのことを思い出すことがある。中学の三年生頃からビートルズやヤードバーズといった洋楽に興味を持ち、ほとんど歌謡曲や日本のポップスを聞かなくなった。10代の後半頃は自分の人生の中で一番、洋楽を聞いていたかもしれない。ジャズ、R&B、BBキングやジョン・メイオールなどのブルースに没頭していた。

そういった趣味が一変したのは、昭和45年(1970)11月25日に起きた、いわゆる三島由紀夫・森田必勝両烈士の自決事件によってである。もっと柔軟な考えを持てば良かったが、当時は、自分の中の「洋風」を否定することが自分を変えることだと、今から思えば浅はかな考えを持った。

演歌や昭和歌謡をしみじみ聞くようになったのは60歳を過ぎた頃からか。最近は、とみに青春時代に流行った歌や曲に魅せられている。「昭和は輝いていた」の番組のCMで「大人のムード歌謡」とか「ポップス黄金時代」といったCDが紹介される。酔っていると、それらの曲の中に過去が重なり、思わず注文しようかと思うが、家族から「また酔っぱらって買ったの」と言われたくないので、家庭円満のために鉄の意思でスルーしている。先がないゆえに、過去を懐かしんだって誰にも文句は言わせない。(言うやつもいませんが)

夜は、おとなしく酔狂亭にて月と影とで三人となり独酌。お供は「黒霧島」。肴は、鳥の手羽蒸し、サバの竜田揚げ、千枚漬け。酒だけは避けられない。

 

 


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祈るほかに術はない。

2021-01-21 11:26:21 | 日記

1月19日(火)晴れ。

良い天気である。そういえば年末から今日まで、ほとんど歩いていない。酒と肴と読書と映画の日々。と言えば何やら格好良く聞こえるが、まあ早い話が、食っちゃ寝のすこぶる非生産的な日々を過ごしてきたわけだ。都合の悪いことは全てコロナのせいにして。

という訳で、朝の光がまぶしい日の朝食は、イワシのフライ、ササミのフライにキャベツの千切り添え、新玉ねぎの味噌汁。昼は抜いた。夜は、ナスと豚肉と新玉ねぎのオイスター炒め、チキンカツ、ポトフ。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて月下独酌。

午後から、足慣らしをしようと思って、久しぶりに大好きな伊東ゆかりさんの歌を聴きながら40分ほど歩いた。相変わらず、神奈川のコロナの罹患者の数は減らない。一応気を付けてはいるが、家族だって仕事をしているし、私だって人と会わないことは無い。祈るほかに術はない。

 


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