白雲去来

蜷川正大の日々是口実

冬日和。

2021-01-15 11:24:27 | 日記

1月13日(水)晴れ。

昨日、東京に初雪。霙交じりであったために、積もらずに済んだ。今年の北陸の大雪は、現地の人たちにとっては、ほとんど災害に近い。横浜などにいると、めったに降らない雪は、神様がくれた冬のプレゼント。とのように感じるが、北陸の人たちにそれを言ったら叱られそうだ。

暖かい日である。今日のように、穏やかに晴れた冬の日を「冬日和」と言うそうだ。季節はもう少し前だが、ちあきなおみの歌に「冬隣・ふゆどなり」というものがある。まわりの景色や雰囲気から、冬の近づいた気配が感じられる晩秋のころ。という意味だが、日本語は美しいなぁー。

朝食は、天ぷらうどん。昼は抜いた。夜は、豚肉の鍋。午後に盟友から連絡があって、「久しぶりに一杯」と。リクエストは「やまと」だったが、生憎、営業は明日からということで、ステイホームとした。

34年前の今日。東京、横浜は昨夜から雪で白一色に染まった。野村先生に、「ニイタカヤマに登ります」と連絡して、囹圄の身となった。時の過ぎるのは早いものだ。


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ノモンハンと尖閣。

2021-01-15 10:52:07 | 日記

1月12日(火)曇り。

「ノモンハン事件」の本を読んでいると、アレどこかの状況によく似ているなぁー。と思うことがある。日本と当時建国したばかりの満州国軍が守るソ満国境。当時中国との終わりの見えない戦争に徐々に消耗しつつある日本が、一番恐れていたのはソ連との全面戦争だった。戦争指導をつかさどる東京の参謀本部は、「不拡大主義」を現地の関東軍に徹底させようとする。多少の国境侵犯があっても隠忍自重せよと。すなわち「侵されても、侵さず」である。

関東軍、とりわけ辻政信らの現地の参謀は、国境侵犯があった時に、徹底的に叩いておけば、次がなくなる。二度と国境侵犯や日本軍に対する挑発的行為を失くすためには、大部隊を持ってガツンとやっておけば、懲りるに違いない。と強硬論を持って当たろうとする。その強気の根底には、日露戦争での勝利の驕りがあった。

世界地図を広げて、世界情勢の大局から、へき地であるノモンハンを見るか、現地の当事者としての立場から、ノモンハンを見るか・・・。

ふと、尖閣問題が重なった。尖閣周辺の我が国の海域に連日のように侵入してくる中国の公船。我が国の政府は、「侵されても、侵さず」の方針を徹底させている。さて日本の海自や政治家の中に、かつてのソ連の国境侵犯に切歯扼腕する辻政信や参謀のような人物がいたとしたら・・・。『ノモンハンの夏』を読んでいて、そんな気持ちになった。そこに半藤一利氏の訃報。偶然にしても出来すぎている。合掌。


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