白雲去来

蜷川正大の日々是口実

出雲大社に参拝。

2022-11-12 15:58:11 | 日記

11月8日(火)晴れ。

七時に目が覚めた。部屋の遮光カーテンを開けると良い天気である。さっとシャワーを浴びて着替えをしてから朝食会場へ。バイキングの朝食。コーヒーを部屋に持って行き、のんびりと朝刊に目を通す。9時半にホテルを出発して出雲大社へ。

出雲大社はちょうど「神在月」。全国から出雲に集った神々は、旧暦10月11日から17日まで7日間、出雲の地に滞在します。2022年の出雲大社での「神在祭」は、11月4日(金)・8日(火)・10日(木)に執り行われます。集った神々は、出雲大社の西の「上の宮(かみのみや)」にて、「神議り」(かむはかり)」といわれる会議を行います。来年の人々の縁結びや、収穫などについて話し合われるそうです。とは、ガイドブックから。そのせいか、平日にもかかわらず、出雲大社は老若男女で賑わっていた。駐車場に停めてある車のナンバーを見ても、全国から来ているのが分かる。すぐに「拝殿御祈祷」の申し込み。何とか午前中の昇殿参拝に間に合った。

一度に50人ほどが昇殿してお祓いを受けるのだが、有難いことに、一人一人の名前と出身地、年齢、何を御祈祷して頂くか読み上げて頂く。「国体護持」の項がなかったのは残念だが、一応「家内安全」をお願いした。印象に残ったのは、関西から来た女性の「縁結び」。なんとその女性は55歳。いつでも夢をと頑張って欲しいが、ちょっと可笑しかった。しかし、「参詣案内」によれば「縁結び」の「縁」とは、男女の縁だけではなく、生きとし生きるものが共に豊かに栄えていくための貴い結びつきです。そして、日本の悠久なる歴史の中で、代々の祖先の歩みを常に見守られ、目に見えないご縁を結んで下さっているのが大国主大神さまなのです。大変失礼を致しました。

参拝を終えて、出雲は蕎麦が有名というので探したが、何処も生憎満席。仕方がなく空港に行く途中で探そうと言うことになり、向かったが、それらしいお店はなく、結局、空港で、と言うことになった。16時20分の搭乗まで2時間以上もあり、昨日同様、出発までまた「空港飲み」。搭乗するも、即爆睡。羽田到着の衝撃で目が覚めた。誘って頂いた方と、車の運転をして頂いた方に衷心より厚く御礼を申し上げます。


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何処へ、いや出雲へ。

2022-11-12 14:44:57 | 日記

11月7日(月)曇り後晴れ。出雲へ。

朝食は、上の子供の好きなキクラゲをたっぷり使った中華丼。ウェイパーで卵スープ。昼は、羽田空港内の寿司屋にて。夜は、出雲の「我龍」というお店で安着祝い。

お世話になっている方から、出雲大社へ参拝に誘われた。死ぬまでに一度は行ってみたいと思っている神社に、出雲大社の他に熱田神宮、橿原神宮、厳島神社がある。伊勢神宮には犬塚博英先輩や盟友の誘いで、ちょうど式年遷宮のおりの「御白石持行事」に参加させて頂いた。民族派運動に長く携わっているにも関わらず、由緒ある神社、仏閣をそれほど訪れていない。反省することしきりである。

午前11時にピックアップして頂き羽田へ。飛行機は14時15分のJAL。道路が空いていて40分ほどで羽田着。昼めしをと思ったが、ちょうど昼時でどこも一杯。それではと早めにチェックインして、出発ゲート近くの「羽田寿司」に落ち着いた。飛行機の出発が遅れたために、腰を据えてしまった。所謂「空港飲み」となり昼間だというのに、赤ら顔に。

4時近くに出雲空港に着。レンタカーにてホテルへ。旅装を解いてから予約をしておいた「我龍」というお店へ。「鉄板焼き」と言うからステーキハウスかと思ったら、洋風の懐石料理。器も料理も凝っていて、中々良かった。その後、一軒転戦してホテルに帰る。爆睡。


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チュー公捕獲。

2022-11-12 14:22:35 | 日記

11月6日(日)晴れ。

朝食は、ハムエッグスにキャベツ千切り添え、ナメコと刻み長ネギの味噌汁。昼は抜いた。夜は、豚肉のしゃぶしゃぶに仕上げは、そのスープに塩コショウして「素麺」を入れた。他は、キュウリとレタスのナムル。お供は、「三岳」。酔狂亭にて独酌。

どうもキッチンの上にあるソケットが壊れていて、そこがネズミの通り道になっているらしい。夜に、色違いの粘着シートを六枚仕掛けておいた。確か、布団に入ってからしばらくしたら、「ドン」という音が聞こえたので、即、リモコンで電気を点けたら、ドアの下に仕掛けておいた粘着シートに、20センチほどのネズミが掛かっていた。慌てて、もう一枚を乗せて動けないようにしてから、コンチクショウと踏んづけてやった。寝ていた家族が起きてきて、深夜なので小さく鬨の声を挙げた。50万~60万と言われた駆除代が、2千円以下で治まった。ちなみにこの駆除の方法を伝授頂いたのは、大行社の新会長となった丸川仁会長である。

しかし、捕えた一匹だけとは限らないので、しばらくは粘着シートを仕掛けて置くことにした。すると思わぬ被害が出た。上の子供が、スリッパで粘着シートを踏んづけてしまい、私が買ってあげた可愛いスリッパがダメになった。愚妻も、夜中に素足で踏んでしまい、落とすのが大変だったとのこと。私も、愛用している「無印良品」のインド綿の部屋用のサンダルをダメにした。粘着シート恐るべし。


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仁義なき戦い。

2022-11-12 13:59:50 | 日記

11月5日(土)晴れ。

食欲がなく、朝食を抜いた。昼は、何かないかなとストッカーを漁って、賞味期限ぎりぎりの「シーフードヌードル」を見つけて食べた。夜は、お好み焼き、上海焼きそば、清風楼の焼売。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

10日ほど前から、何やら天井からガサゴソと言う音が聞こえるようになった。二階に居る家族も「絶対に何かがいる」と。火曜日には、テーブルに置いてあった食べ残しのブドウパンが齧られていた。残念なのは、家族は皆、犯人は酔っぱらった私だと思ったこと。水曜日に、キッチンから音がしたので、サッと電気をつけたらネズミが逃げて行くのを目撃した。やっぱりそうか。

薬局で、粘着のネズミ捕りを買ってキッチンの水回りに仕掛けておいた。朝になってみたら、中央に置いた餌だけが食べられている。敵もさるもの、中々頭が良い。一応、パソコンで専門業者に電話して、今日の午前中に来て頂いた。業者は、ネズミの被害や恐怖をあおるようなことを言う。「天井に覗くことのできる穴を三か所くらい開けて、被害の程度を見て、駆除方法を判断します」。その見積もりは、と聞くとシレッとして「50万から60万円です」。その金額を言われてすぐに「お願いします」と言える家がどのくらいあるのか。「女房と相談してから後日連絡します」と言ったら、業者の表情が変わって「またここに来て同じ説明は出来ませんよ」と居直られた。「見積もりは無料」と言うから連絡したのに。

ネズミ捕りの粘着シートを増やして、ネズミとの仁義なき戦いが始まった。

 


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また訃報が・・・。

2022-11-12 12:53:25 | 日記

11月4日(金)晴れ。

遅い朝食は、カレーうどん、ナメコと豆腐の味噌汁。昼は抜いた。夜は、松原商店街へ出撃し、マグロと藁焼きのカツオのたたき、牛肉の「ザブトン」という部位を購入し、わさびをつけて食す。お供は「黒霧島」。酔狂亭にて独酌。

弊社の松本佳展君からの電話で、大行社の関戸康人さんの訃報を知る。先月の月末に大行社の役員会議の出欠の連絡を頂いたばかりである。先日、関戸さんが日教組の教研集会の抗議のために高知へ行った際、「カツオの好きな蜷川さんへカツオを送りたい」と、立派なカツオのたたきを送って頂いた。40代の半ばと言うのに、正に早逝という言葉が当て嵌まる。関戸さんからの着信をしばらく消せそうにない。

今年は、友人、知人が相次いで逝き、これほど虚しさを感じたことはなかった。岐阜の花房東洋先輩に教わったのが「名刺供養」。かつて名刺交換をしたことのある同志、友人の亡くられた方の名刺を箱に入れてお仏壇の中に入れて毎朝手を合わせる。一番上には野村先生の名刺である。その名刺の箱も二箱にもなった。関戸さんとは、近すぎて名刺交換などという他人行儀なことをしたことはないが、名刺の用紙に名前を書いて、箱に収めた。関戸さんの下は、先日亡くなられた札幌の盟友、前田伏樹さんのものだ。

先駆けて 散りにし人の 悲しみを 我がものとせむ この道を行く。とは野村先生が河野邸焼き討ち事件にて12年の獄中生活を終えて、戦線復帰する際に詠んだ歌である。合掌。

 


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