11月15日(火)雨のち曇。
朝食は、最近良く食べている辛子の代わりに山わさびのついた納豆、つた金の焼きのり、アサリの味噌汁。昼は抜いた。夜は、おでん、焼きそば。お供は「三岳」。酔狂亭にて独酌。
午後から、眼科へ。ドライアイとのことで、目がしょぼしょぼする。目薬を貰うために行くのだが、一応検眼もして貰う。前のデーターを見せてもらったが、この一年でめちゃくちゃ視力が落ちている。小さい字が見えづらいのは、2年ほど前から。先日、通販で眼鏡を買ったが、ちゃんと老眼鏡を作ろうと思っている。
野村先生手が尊敬されていた方の一人に、かつて新勢力社を主宰していた毛呂清輝先生がいる。その機関誌『新勢力』の「創刊20週年記念号」(昭和50年発行)の毛呂先生のエッセー「風塵雑記」の中に、三島由紀夫先生が亡くなられた当時、民族派の学生青年に良く読まれたのが、三島先生が自決になされた5年後に、やはり自裁した村上一郎(1920(大正9年・9月24日)~ 1975(昭和50年・3月29日は、日本の文芸評論家、歌人、小説家)である。日本浪漫派に共感し、彼の『北一輝論』や『草莽論』は三島由紀夫が絶賛した。
「風塵雑記」の中に、「三月末、橘孝三郎氏の一周忌で水戸へ行く準備をしながら、フト朝刊を見ると村上一郎氏が日本刀で頸動脈をかき切って自殺した記事が出ていたので驚いた。村上氏は橘塾長と親しかったのでなんとなく因縁めいたものを感じた」という一文があり興味深く読んだ。そして、「村上一郎に『撃攘』という歌集のあることは知っていたが探してまで読む気になれなかった。が、ある日『撃攘』を探し求めて読んだ」。その歌集の中に三島先生を追悼して詠んだ歌が二十六首あるそうで、毛呂先生は五首紹介している。
「撃攘」とは、敵を撃ち払うことである。