白雲去来

蜷川正大の日々是口実

子供の頃の日本と日本人は貧しかった。

2022-11-22 12:07:41 | 日記

11月19日(土)晴れ。

朝食は、冷ご飯が沢山あったので、昆布とかつお節でたっぷり出汁をとって土鍋でお粥を作った。おかずは、白菜のおしんことキムチ。どちらもスーパーのものである。昼は、冷食の焼きおにぎり二個。夜は、自宅の近くに出来たロピアというスーパーに行ったら、牛肉で好きな部位の「ミスジ」があって即購入。塩コショウだけで焼いて、大根おろしとポン酢、ニンニク醤油、塩コショウと三つの味で食べた。他は、キュウリのナムル。モヤシ炒め。お供は「黒霧島」。家族で団欒飲み。

町内で、二カ月に一度くらい「ゴミ当番」の札が回って来る。期間は一週間だ。生ごみが週二回。ビン缶、プラが週二回。紙ごみが二週に一度。朝早く起きて、ゴミ捨て場にある「烏除け」の籠を設置し、午後に、それを片付けに行く。

私が子供の頃は、町内にゴミ箱があったが、今のように、清掃車が決まった日に収集に来る、なんてことはなく、分別などなかったので、何でも捨てていたので、そばを通るととても臭かった。どくとるマンボウこと北杜夫先生は、酔って、自分が本当に忍術を使えると思い込み、姿を消すために路傍のゴミ箱に飛び込んだことがあるそうだ。子どもだった私には、あの汚いゴミ箱に入るなんて言う勇気はとてもなかった。またトイレも汲み取り式で、バキュームカーが来ると逃げ回ったものだ。保健所の職員の「野犬狩り」を「犬殺し」と呼んで、とても怖い存在だった。冬も暖房は火鉢と豆炭をいれたコタツだけ。あかぎれやひび割れが出来た手をぬるま湯に浸すと、痛痒く気持ちよかったのを覚えている。今から64,5年前のこと。日本と日本人は、まだ貧しかった。※写真は、6歳ぐらいか。左から2人目が私です。


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酔へばあさまし、く酔はねばさびしく。

2022-11-22 08:20:03 | 日記

11月18日(金)晴れ。

食欲がなく朝食を抜いた。昼は、近くの「鶴岡」という蕎麦屋で奮発して「天重セット」。1450円なり。以前このお店で、統一戦線義勇軍の清和崇さんご夫妻とバッタリ会ったことがあった。夜は、やはり自宅近くの「浜一寿司」で友人と時局を肴の一献会。運動不足なのでお店まで歩いた。ちょうど30分。

家族が、帰郷したりして家で一人になった時などは、独り酒専用の棚から秘蔵の「森伊蔵」や「農林二号」といった高級な物を取り出して、ふふふと飲む。シャンペンも良いが、この酒だけは、自宅では似合わない。「落ち込んでいる時は、日本酒などにせず、シャンペンがいい」。と教えてくれたのは、女優の池上季実子さん。シャンペンを開ける、という行為だけでも心がハイになる。特別高い物でなくともよい。私が好きなのは、黄色の「クリコ」か「モエ」。私の友人に、狭斜の巷(きょうしゃのちまた)で酔うとシャンペンを開ける癖のある人がいるが、やはり美味しい酒は、口がピュアな時に飲みたいものだ。JALのヨーロッパ便などのファーストクラスで出される「サロン」を誕生日などで、友人たちと一度、飲んでみたいと思っている。

酒とズブズブの関係になってから久しいが、愛おしくて別れることができない。「酔へばあさましく酔はねばさびしく」。とは山頭火の句である


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