白雲去来

蜷川正大の日々是口実

お見舞いとお祝。

2009-10-28 10:16:24 | インポート

十月二十五日(日)曇り。

 私の同期生で、自宅の近くで焼肉店「清水苑」の経営者であるY氏が、今月の始めに、脳梗塞で倒れて入院した。以前から肝臓や心臓に持病を抱えていた。帰宅途中に、店の前を通ると、閉店近くに手持ち無沙汰で、一人で、焼酎のサワーを飲んでいるのを見ると、タクシーを降りて一緒に良く飲んだものだった。

 最近は、体を悪くして店には出ていなかったが、しっかりと自宅で療養をしているものと思っていた。先週、家族でお店に行った折に、入院の事を聞き、今日の午後に家人と共に病院へお見舞いに行った。倒れて以来、意識が戻らないと聞いていたが、顔も見ずに別れてしまうのは寂しいので、病院へ行ったが、声をかけても全く反応がない。回復することは不可能とは聞いていたが、同世代の、それも友人のこうした姿に接するのは、寂しいことだ。奇跡を祈って病院を後にした。

 夜は、友人のご子息の結婚披露宴が、横浜港の近くにあるレストランにて行なわれ出席。いわゆる若い人たちの行く、クラブを貸しきってのパーティーで、堅苦しさもなく、とても和やかな雰囲気だった。新郎のご尊父たちと、若い人達に邪魔にならないように早目に店を出て、福富町の韓国料理店にて食事。その後、一軒転戦して帰宅。見舞いとお祝。複雑な一日だった。


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一日、自宅に居ました。

2009-10-26 16:49:59 | インポート

十月二十四日(土)曇りのち雨。

 早目に寝たにも関わらず、目を覚ましたら九時近かった。朝食は、カレーの残り。ご飯も冷や飯が沢山あったのでバターライスにした。昼過ぎまで、机に向かって昨日の観艦式の写真の整理や、ブログの更新などで時間を潰し、その後に、連載原稿に取り掛かる。

 外は、雨。友人の見舞いに行こうかと思ったが、原稿を終わらせようと、何処へも出かけずじまいだった。殆ど書き上げたが、どうしても事務所に行かねば分からないことがあるので、仕上げは明日ということにした。最近、どうも体調がイマイチで、調子悪い。月曜日には、掛かり付けの医者に行くつもり。チョット、ブルーですね。

Img150※私の原稿が掲載されています「実話時報」の11月号です。宜しくお願い致します。


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観艦式に行ってきました。

2009-10-24 10:24:17 | インポート

十月二十三日(金)晴れ。

 四時半に目覚ましが鳴って起きた。仕事だとこんなに早く起きられないのに、釣りや、遊びに行く時は、ガバッと起きられるから不思議だ。今日は、読者の虎ノ門浪人さんに誘われて海上自衛隊の観艦式に行く。好物のカレイの干物と、先日、名古屋に行った折に買ってきた「守口漬け」で朝食を済ました。仕度は、昨夜に終わらせてある。

 六時過ぎに弘明寺から京急に乗って、上大岡で快速に乗り換えて横須賀中央駅下車。改札で虎ノ門さんと合流。こんなに早い時間なのに、駅から停泊している船に向かうのだろう、凄い人の列が続いている。今日、私達が乗艦する護衛艦は、艦番113の「漣(さざなみ)」。昔風に言えば、軽巡洋艦ぐらいの大きさだそうだ。海上自衛隊の基地に向かうと思ったら、「三笠」が繋がれている先の岸壁だった。簡単な荷物検査を受けた後に乗船。

 戦うために作られたものは、全ての無駄が省かれていて美しい。まず艦内を散策。驚いたのは、海上自衛隊は、旧軍の伝統を受け継いでいて、陸自では「PX」が、海自では「酒保」である。

Dsc_0005 ※酒保です。

 艦橋のすぐ脇にある見張り所にある計器も驚いたことに、旧軍の言葉のままで、「強速」とか、「第一戦速、第二戦速」などと書いてあった。

Dsc_0049 ※最新のハイテク艦に、旧軍の表示。いいですネェー。※クリックすると大きくなります。

 偶然にも、社友の隠岐康氏も友人と観艦式に来ており、乗船艦は、艦番105の「いなづま」である。

Dsc_0107

※隠岐さんが乗っていた「いなづま」。

 私たちの艦を先導するのは、へり搭載空母?の最新艦の「ひゅうが」である。

Dsc_0098 ※さざなみの艦橋から見た、ひゅうが。

 私たちの艦は、「受閲艦隊」と言って、観閲を受ける側である。隠岐さんたちの乗った「いなづま」は観閲部隊。すれ違う時は、艦長らが甲板に立って敬礼をする。我が帝国海軍の艨艟(もうどう・分からなかったら調べてみてね)の行く姿を見て、ドキドキ、ワクワク。最高に感激して万歳を三唱。これで軍艦マーチでも流れていたら、もう言うことないのだが。

 空には、ヘリや対潜哨戒機、飛行艇、Fー15などが次々に飛来し、いやー、良くぞ日本男児に生まれけり、という感じで、本当に感激、来てよかったと思いました。いずれ乗船記を書いてみたいと思っています。

Dsc_0128 ※我が海軍の艨艟。

Dsc_0105 ※「敵艦見ユノ報ニ接シ、我ガ連合艦隊ハ、城ヶ島沖ヲ南下中」。てなことはないか。

Dsc_0191 ※赤外線ミサイルを避けるためのIRフレア投下

 四時に帰港し、横浜に戻り、中華街の「安記」にて、虎ノ門さんとお疲れさん会。偶然にも、旗艦「くらま」に乗船していた人達が来ていた。朝が早かったので、九時前に帰宅して、すぐに寝た。

コメント (2)
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気ぜわしくて、参っています。

2009-10-24 09:27:08 | インポート

十月二十二日(木)晴れ。

 朝目を覚ましたならば、家に居るのは、私とインフルエンザで学年閉鎖となった、下の子供と二人。朝食の後は、ブログを更新した後に、掃除に洗濯を済ませるともう昼。今日は、久し振りにお世話になっている方たちと昼食の会。場所は伊勢佐木町裏の「登良屋」。天ぷら屋だが、ここのカツオは最高である。今年はカツオが不漁だったので、美味いカツオは嬉しかった。その後、文明堂のパーラーでお茶をしてから帰宅。

 午後は、公私共に大変お世話になっている方が、わざわざ来訪して良いものを頂いた。感謝する次第です。また伊豆に行っているO氏からも干物を大量にご恵送頂いた。これで当分買い物をせずに済む。

 明日、海上自衛隊の観艦式に行くので、一人残る子どもの為に、昼食のカレーを仕込んだり、夕食の支度をしたり、かなり忙しかった。原稿の準備が出来ず、焦っている。明日の朝が早いので、夕食後は飲まずに机に向かった。

Img145 ※先日のブログで紹介しました、満州国、国務院の「資源調査」のポスターです。とても分かりやすく、センスもいいですね。


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今日は、意義深い日である。

2009-10-22 16:14:06 | インポート

十月二十一日(水)晴れ。

 ここの所秋晴れの日が続いており気持ちがいい。信じられないかもしれないが、私は、掃除、洗濯、料理の腕はプロ級である、と自負している。天気の良い日などは、もうジットしていられずに、掃除、洗濯を張り切ってやる。家人にもハッパをかけるので、迷惑がられているが、お天道様はタダである。こんなありがたい恩恵を見過ごしてはいられない。

 今日は、私の年齢で、左右に関わらず政治運動に関わってきた人達には、ある意味、忘れられない日であろう。すなわち「国際反戦デー」である。左翼の過激派による新宿騒乱を目の当たりにした三島由紀夫先生は、この国際反戦デーに、楯の会の決起を考えたのではなかったか。

 また、民族派にとっても今日は意義深い日である。昭和十八年の今日、雨の神宮において出陣学徒壮行会が行なわれた。私の生まれる前の出来事ではあるが、戦時中のニュース映像の中で、雨の中を「抜刀隊」の行進曲の流れる中を「花も蕾みの若桜が、五尺の命ひっさげて」学生服姿で行進するその映像を見ると、必ず涙がこぼれてくる。この人達の尊い犠牲があるからこそ、今日の日本の繁栄と平和があるのだから、と。

 国際反戦デーとは、「1966年10月21日に日本労働組合総評議会(総評)が「ベトナム反戦統一スト」を実施し、それと同時に全世界の反戦運動団体にもベトナム戦争反対を呼びかけたことに由来する。1968年には、新左翼による新宿騒乱を起こすまでになった。やがて左翼運動の退潮により、一般人からは忘れられた記念日となった観があるが、反戦運動にとっては今もなお、重要な記念日となっており、この日に合わせて各種集会が開かれている。」

 とフリー百科にあるが、私の記憶では、アメリカが始めて北ベトナムの爆撃を行った日を記念して総評が反戦統一ストを呼びかけたと、思っていたが、記憶違いか。

 この日、北朝鮮問題で、大手ゼネコンに対して、発砲事件を起こした、大行社の木川智君の戦線復帰の激励会が、午後一時より、靖国会館にて行われた。午前十一時より、昇殿参拝。一時の開会には、会場に溢れんばかりの人達が、木川君の復帰をお祝いした。

 四時前に帰宅。事務所に寄ってから、家人と合流して、久し振りに家族で「清水苑」にて食事。「黒霧島」の四合瓶を半分ほど飲んで寝た。

コメント (2)
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