白雲去来

蜷川正大の日々是口実

ロ助の野郎め!

2010-05-12 12:49:03 | インポート

五月十日(月)曇り。

 朝食後に新聞に目を通せば、ロシアで「対独戦勝65周年式典」が行なわれ、米英仏といったかつての連合国が初めてパレードに参加した、という。頭にきた、と言おうか、盗人猛々しい、と言おうか、犬畜生にも劣る所業と言おうか、所詮は「ロ助」と呼ぶに相応しい連中と言えばそれまでだが、それにしても頭にきた。

 ロシアが、対独戦のことを「我々はファシズムに勝利した」というのは構わないが、その後に「日本の民族主義にも」とあるのには開いた口が塞がらなかった。また、ふざけているのは、ロ助共は、日本が連合国に対して降伏調印をした九月二日を「対日戦勝記念日」にする法案を議会に提出しているという。

 先の大戦で、我が国は、現在のロシアの前身であるソ連と戦争をしたという事実はない。当時、我が国とソ連との間に交わされていた「日ソ不可侵条約」を、終戦直前の八月九日に、一方的に破棄し、満州に侵入し、多くの民間人を殺戮した。いわゆる、中国残留孤児や「満州の悲劇」は、このソ連の軍事侵攻によって起こった。

 更に、国際条約で禁止されている捕虜となった日本の軍人をシベリアに連行して、強制労働に従事せしめて、ここでも多くの旧軍人が病死、あるいは凍死している。まだある、日本の固有の領土であった、南樺太や北方領土に軍事侵攻したのは、我が国がポツダム宣言を受諾した八月十五日以降のことだ。こういった行為を日本では「火事場ドロボー」とか、「犬畜生にも劣る」と言うことを、ロ助は知るまい。まさに人間の皮を被ったケダモノの所業である。

 現在の民主党政府は、そのロシアに対して、ナチと同一視され、「対日戦勝記念日」にする法案が提出されていることに、何の抗議もしない。と言うことは、ロシアの歴史観を認めたことになってしまう。くだらぬ祭日を増やすならば、かつてのソ連が、日ソ不可侵条約を一方的に破った、八月九日を「民族痛恨の日」あるいは「臥薪嘗胆の日」とすべきと私は思う。

 夏には、参議院選挙がある。民主党、自民党を含めて、新党が乱立するようだが、どのような国家観があるのか・・・。日本をどのように導くか、などが全く見えない。みんなの党の渡辺某や、立ち上がれ日本の与謝野などは、一度も靖国神社に参拝したことがないと言うではないか。そんな者が保守の仮面をかぶって政治家でいるから、ロ助などにナメられるのだ。

 朝から、頭に来た一日で、こんな日は、きっと悪酔いしそうなので、酒を控えようと思ったが、通りがけに魚屋を覗いたら、美味そうなカツオがあったので、「水師営の会見」を歌いつつ、しこたま飲んだ。それにしてもロ助の野郎め・・・。

コメント (2)
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忙しい一日だった。

2010-05-12 12:13:02 | インポート

五月九日(日)晴れ。

 午前十一時、松本佳展君来訪。今日は、午後一時より靖国会館にて蒼龍会の日下部英夫氏の偲ぶ会が行われ出席。十二時に靖国神社に着。参拝の後に会場へ。一時に開会。遺影に玉串を捧げ、追悼する。二時半に終了。会場に来ていた多くの同志は、熱海で行なわれる「牢人の会」へ出席の為に会場を後にした。

 私は、六時から開催される野村思想研主催の勉強会に出席。横浜に戻ったのが四時前。駅前では、義信塾などの同志が街頭演説を行っていた。ご挨拶をしてから移動。地下街の本屋で時間潰しをしていたら、向田邦子さんの本があったので購入した。買った後で、良く考えたら、どうも以前読んだような気がする。まっいいか。

 向田さんの本は、全て読んだ。宮尾登美子さんと並んで私の好きな作家である。残念ながら飛行機事故で亡くなってしまったのが、惜しまれてならない。赤坂に野村先生の事務所があった頃に、赤坂見附の駅のすぐ近くに、向田さんの経営する「ままや」という料理屋があった。入ろうと思いつつも、なぜか気恥ずかしくて、ついに一度も店に行かなかったのが心残りとなっている。「向田邦子暮らしの愉しみ」(新潮社)を眺めつつ、向田さんの本を読んでいた頃の出来事や、その時々の人たちの事などを思い出した。

 勉強会にはまだ時間があるので、どこか良い店はないかと探した挙句、会場近くの居酒屋に入ったが、やっぱり最低の店だった。単に駅から近いというだけの店で、料理も店の雰囲気、アルバイトと思われる従業員の接客も最低だった。人生の大切な「一杯」がパアーになった。残念。

 六時から勉強会に出席。カメラマンの平早勉氏が野村先生の思い出を一時間ほど語った。お疲れ様でした。終了後は、井土ヶ谷に転戦して直会。十時過ぎに終了。

Img120 

Img119 ※八十頁の「食いしん坊に贈る百冊」。こういった本の紹介があるのは楽しい。それでも池波正太郎の「食卓の情景」が六十六位というのは、少々残念。


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「自問自答の訓」が完成しました。

2010-05-11 12:08:59 | インポート

五月八日(土)晴れ。

 朝食後に、下の子供を連れて一時間ほど歩いた。天気も良いし、下らぬ話をしながら、子供と一緒にいる時間が楽しい。ご褒美に弘明寺商店街の入り口にある洋服屋で、夏物の部屋着を買ってあげた。

 午後からは、仕事。「大吼」の夏号の締め切りが迫っているので、頑張って校正作業を行なう。原稿をデーターで送って頂いている方は楽なのだが、手書きのものは、パソコンに入力しなおさなければならないので、作業が大変である。

 夕方、いつもお世話になっている額縁屋さんから電話が入り、頼んでいた野村先生の「自問自答の訓」の額装が出来上がったとのことで、取りに行く。

 野村先生の直筆の色紙や書が何点かある。以前は、金庫の中にしまっておいたり、額装をしたものも、「照明焼け」してしまうのが嫌で、飾ることをしなかった。しかし、もし火事などの災害に遭ったらすべてなくなってしまう。そう思った時、なるべく完全な形の複製を限定で作成して、希望者にお分けしようと、その作業を続けている。その作業の第一号として制作したのが、「自問自答の訓」である。生前、野村先生が四、五点作った中で、私が頂いたものだ。

 データーを撮ったり、印刷、額装に思いのほか経費がかかったが、まあ良いものが出来たと自負している。「燃えよ祖国」でも案内しますが、ブログを読んで頂いている方には、先にお知らせいたします。

Photo

  額の大きさ、横70cm、縦40cm。

定価は¥25、000です。(税・送料込)※お届けに一週間ほどかかります。

 郵便振替は、00180-2-353696 加入者名・蜷川正大

 銀行振り込みの場合は、三井住友銀行横浜中央支店・普通・1125725・蜷川正大

銀行振り込みの場合は、銀行から振込みの連絡がないので、メールあるいは、電話でご一報下さい。


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現役でいられるのは、あと十年か。

2010-05-11 11:19:01 | インポート

五月七日(金)曇りのち雨。

 午後から雨になるというので、午前中一時間ほど歩いた。桜が散って、今はツツジやハナミズキが美しい。歩くには曇りぐらいが丁度良い。

 唐突で恐縮だが、今からでは遅いが、板前の修業をしておけば良かったと後悔している。店を出したり、職業にしようと言うことではない。自分の為にである。自分で料理を作るのが好きなので、板前の修業をしていれば、魚をおろすことはもちろん、煮物に焼き物と本格的な料理が出来る。

 男のクセにと、言われるかも知れないが、スーパーや市場に行くのが好きだ。特に韓国やアジアの国を旅するときは、必ず市場を見て歩く。一番生活のニオイがするし、見ているだけで食欲がわいてくる。

 私の住んでいる所から、車で十五分くらいのところに、「松原商店街」という市場がある。マグロの販売で有名な「魚孝」という店があり、ここがとても安い。マグロよりも、「アラ」やタコなどを買って来る。マグロのアラは、醤油とみりん、酒に漬けてオーブンで焼く。タコは、刺身も良いが、「タコネギ」やマリネにする。

 酒を飲むと、料理に殆ど手をつけない人がいるが、私は、料理はもとより、その素材を見ると、酒が飲みたくなる。私の市場歩きは、晩酌の肴を求めてウロウロする場合が多い。良い酒と、美味い肴、そして酒友、これだけで人生がばら色になる。

 早生まれなので来年が還暦となる。現役で遊んだり、飲んだりするのは、恐らく、後十年くらいだろう。いや七十歳になるまでに、体をこわして酒を飲めなくなるかもしれない。そう考えると、残された僅か十年の間に、なるべく煩わしいことには関わらず、そして気の合わない人間とは、つとめて付き合いをしないように心がけている。

 気の合う人たちとのみ、酒酌み交わし、語り合い、学びあう。視野が狭いといわれそうだが、それで充分である。これ以上、交際範囲を広げようとも思わないし、有り難いことに私には、幾人かの親友、心友がいる。その人たちは、私の宝でもある。

 家飲み用の酒が切れたので、「いいちこ」と「二階堂」の四合瓶を買って、ツマミは、冷奴、山芋の梅合え、筋子、津軽漬けで飲んだ。最近は一人で飲む時は、麦焼酎にしている。


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久し振りに良い一日だった。

2010-05-08 23:58:40 | インポート

五月六日(木)晴れ。

 朝から東京行き。公私共にお世話になっいる方へご挨拶。先月は、その方の都合が悪く、お会いすることが出来なかったが、今回は、一時間ほど、様々な話をお聞かせ頂いた。酒友と共に、ご挨拶をして辞す。

 東京から電車で保土ヶ谷に戻ったのが、丁度昼だった。以前から、保土ヶ谷駅の西口(国道沿いではない方)に、とても気になっていた蕎麦屋があった。どう気になっていたかと言えば、その店構えである。細い裏道にあるので、車の駐車スペースがない。いつか寄ろうと思ってから、随分と長い年月が経っていたと思う。今回は、そのことを思い出して、寄ってみた。お店の名前は、「宿場そば・桑名屋」。

 駅から線路伝いに歩いて約十メートル程度。店構えが、かつて保土ヶ谷が、東海道五十三次の宿場だった頃のイメージを模している。時代がかった店に入ると、座敷である。二階に上がる階段もあったが、とりあえず一階の座敷に上がった。ここはどうしても、燗酒を頼みたかったが、食後、自宅まで歩いて帰ろうと決めていたので、「酒」と喉まで出掛かったが、思い切って、蕎麦だけにした。品書きの中から、「せいろ蕎麦」、早い話が、「もり」を頼んだ。つけ汁も、辛口で子供好みではない。やはり、もっと早くから来るべきだったと、後悔した。そして、東京で酒友と別れたことも併せて後悔した。

 

Nec_0076 ※お店の正面。チョット恥ずかしくて、うまく撮れませんでした。

Nec_0075 ※「せいろ蕎麦」。酒のつまみにもなります。品書きには「抜き」もありました。「抜き」って何だって。下戸と女、子供には分からネェーだろうナァー。

 次に来る時は、必ず「飲みに」来ると誓って店を後にした。次に、向ったのは、この店から、百メートルくらいの所にある「史跡」である。そこも、駐車スペースがないので、いつか、と思っていた場所。

20060915433 

 上記の写真は、横浜市の地域有形民族文化財に指定されている「金沢横町道標四基」である。解説の看板によれば、「この地は、旧東街道の東側で、金沢、浦賀往還への出入り口にあたり、通称「金沢横町」と呼ばれました。金沢・浦賀往還には、円海山、杉田、富岡などの信仰や観光の地が枝道にあるため、道標として四基が建立され、現在残っています。四基の道標は、それぞれ次の通りです。「右側から番号を付す」

 ①円海山之道[天明三年(一七八三)建立]。左側に、「かなさわかまくらへ通りぬけ」と刻されています。建立者は保土ヶ谷宿大須賀吉左衛門です。円海山は「峯の灸」で有名でした。※余談ではあるが、社友で、「炉端焼き・花笠」のオーナーである尼野保氏のご母堂のお墓が、その円海山にある。

 ②かなさわ・かまくら道[天和二年(一六八二)建立]。左面に「ぐうめし道」と刻されています。

 ③杉田道〔文化十一年(一八一四)建立〕。正面に「程ケ谷の枝道曲がれ梅の花 其爪」と刻されています。句碑を兼ねた道標は珍しく、また作者の其爪は江戸の人で、河東節の家元です。

 ④富岡山芋大明神社の道[弘化2年(1845)建立]
建立者は柳島村(現茅ヶ崎市)の藤間氏。芋明神は、富岡の長昌寺で、ほうそうの守り神として信仰を集めていました。       平成5年3月   横浜市教育委員会

 いやはや、今日は、天気も良いし、気になっていた胸のつかえも取れたし、午前中から良いことずくしである。夜は、友人が、「佐藤」の黒を抱えて来訪。両人対酌山花開 一杯一杯復一杯 我酔欲眠卿且去 明朝有意抱琴来。といった感じで、当然、大破・轟沈。ああ久し振りに良い一日だった。


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